【読んだ本】穂村弘「野良猫を尊敬した日」(講談社)
店で日本酒を頼むと「常温」という言葉を聞くことがある。
とある店で「いつ頃からだろうか」という話になった。あまり日本酒の人気がない1980年代に、300ccほどのボトルに入れた「冷酒」を出すようになり、それで普通の冷や酒(ひやざけ)を「常温」というようになった気もするが、いまだに居心地が悪い。
このボトル入りの「冷酒」は、「とりあえず冷やせば飲みやすいだろう」的な感じで大手メーカーが作っていたりして、日本酒好きはあまり選ばない気もする。
ただし、80年代後半くらいから「地酒」をそろえる店が増えた。そういう店は、一升瓶を冷蔵庫で保管してあるので、大概のものは冷えて出てくる。グラスで飲むようになったのも、この頃だ。
僕が会社に入った頃、新宿三丁目によく行った店がある。というか、今でもある。そこの主人が店をやめて、それがきっかけでしばらく行かなかったのだが、最近行ったら雰囲気は変わってなかった。
そこに、一人でも行っていた。転勤する前だから、20代前半の頃だ。金曜の夜に仕事の後に行く。ちょうど日付が変わる頃に、行って好きな酒を飲んでいた。とりわけ気に入った銘柄は「常温」がお薦めということもあり、わざわざ冷蔵庫に入れず冷暗所保管しているものを頼んだりしていた。
カウンターだけでも10人以上の席があって、その後ろにはテーブルとか座敷で50人以上は入るような店だろうか。小さな店ではないのだが、やがて「常温ですね」と覚えてもらい、なんか「今日は冷えたのがいいなあ」と思いつつ、常温で飲んでいた。
もう、こうなると007のマティーニじゃないけど、「常温」だ。個人的な記憶だけど、「常温」と聞くと、いつもこの頃のことを思い出す。
スマホもなく、本を広げるわけでもなく、結構大きな店なので、誰とも話さず、一人で飲む。
しかし、「常温」って他に使うのか。「常温核融合」くらいしか、思いつかない。
その店で、ある時に「よく飲まれますね」と言われた。きっちり、グラスで4杯までと決めていて、それでも多い方かもしれないが、まあ何の問題もなかったのだ。
ただ、主人と話をしていると、どうも妙なのだが、やがて理由が分かった。
「そのグラス、1.6号くらい入りますよ」
ということは……行くたびにそんな飲んでいてシレッとしていたらしい。しかも常温で。
なんて、昔の自分のことを書いてみたのは穂村弘のこのエッセイを読んだからだ。書かれているのは、主に「自分のこと」で、しかも学生だから子どものことまで「過去のこと」が中心だ。でも、自分のことを書いているのに、単なる日記じゃない。
そこには、他者が読んでも頷く何かがある。それが、並じゃない。
で、僕も書いてみたんだけど、全然ダメだ。酒の量のくだりなど、人に話したこともあるが文章にすると、明らかに「自慢」だ。うまく文にできるかと思ったけど、ああ、嫌だ。
「自分のこと」を書くのは、あらゆる文章で最も難しい。しかし、それを高水準で成し遂げている人が、文の達人なんだろう。『世界音痴』で驚いたけど、また深くなっている気がする。