食べ物についての本ってあ、レシピやらダイエットやら店ガイドなどの実用的なものを除くと、意外に面白いものが少ない。
食についての関心は高まっているとはいえ、「おいしいくて安い店をいかに探すか?」とか「どうしたら効率的に痩せられるか?」といったところで止まっているのかな、と思うことがある。
最近読んだ『カリスマフード 肉・乳・コメと日本人』(畑中三応子・春秋社)は、何となくみんなが気にしている3つの食材について文化的な側面から歴史を追って掘り下げた本だけど、なかなか面白かった。
この3つの食材は、いろいろな意味で話題になりやすい。肉と牛乳は明治以降に広く食されるようになったが、米は古代からの主食だ。そして、健康をめぐる俗説も多い。
肉や牛乳も実は結構前から飲食の歴史はあるようだが、その辺りについてもいろいろと書かれていて興味深いし、特定の食べ物がバッシングされる経緯を見ると、日本人は食に対して関心が深い一方で、ちょっとヒステリックはないかと感じることもある。
で、この本でおもしろいのは、どの食材にも福沢諭吉が顔を出すことだ。
まず、肉と牛乳だけれども、福沢は奨励者だった。以前、江戸東京博物館での展示でも見たことがあったけれど、彼は食についても欧化を良しとしていたのだ。
そして、あの妙に拡張の高い文章でかつユーモラスに食を論じる。
『肉食之説』という、いわゆるPR文では「肉食を穢れている」とする人に対して、こんな風にユーモラスに説いている。
「(とはいっても)世の中には不潔な食べ物が多い。蒲鉾は溺死人を食った鮫の肉でつくるし、春の青菜は香り高いが一昨日かけた小便が葉に深くしみ込んでいる。周期があるといえば、カツオの塩辛もくさやの干物も」といった塩梅なので、たしかにスッと説得されるかもしれない。
また牛乳については、発疹チフスにかかった時に牛乳を連日飲んで回復しことが大きかったようだ。
「不老長寿が実現し、精神も活発になり、日本人としての名誉も傷つかずにすむ」という。
大げさのようだけれど、肉や牛乳は明治期の日本人が「たくましくなり欧米に伍する」ための手段としても重要視されていただったことがよくわかる。
また、コメについては「脚気」論争において顔を出す。白米の過剰摂取が摂取栄養のバランスを崩し脚気になることは「江戸患い」としても知られていたが、もっとも深刻なのは軍隊における脚気の罹患者の増加だった。
これを細菌説として犠牲者を増やしてしまうのだが、この細菌説を唱えたのが東京帝大で、異を唱えたのが北里柴三郎だった。その軋轢から北里は東大から追われるが、そこで援助したのが福沢諭吉である。ちなみに森鴎外は「細菌説」を唱える軍医だった。
このこと自体はよく知られているが、結局食べ物が背後にあったのだと思うと、やはり福沢と食の不思議な縁を感じる。
福沢諭吉は現在でもその社会思想はよく引用されるが、こうした大衆文化への啓もうについて、もっと注目されていいのだろうと思う。
そういう親しみがあったからこそ、あの当時に著作がベストセラーになったんじゃないかと思うのである。