三ツ矢サイダーのCMがテレビから流れてきて、いきなりムズムズ感に襲われた。このムズムズ感は何かと思ったが、あれだ。綾鷹だ。
こちらのエントリーでも書いたけど、綾鷹のCMがムズムズして気になっていた。
「この国のもてなし」
というコピーだ。
そうしたら、三ツ矢サイダーのCMもこう言っている。
「この国の爽やかさが、好きだ。」
おお、そうであったか。かくして、この国の飲料CMは「この国」が目立つ。
三ツ矢サイダーの近年のCMを見ていると、ポジショニングというかターゲット設定を模索していた感じがした。
2015年は多部未華子と福士蒼汰を起用して、「若い社会人」を描いていた。もともとは十代とその親をターゲットにしていたので、「お?」と思い大学の講義などでも取り上げた。ちょうど、黒烏龍茶も思い切りポジションを変えてきており、「働く20代女性」に着目したのだと思う。
多忙な彼女たちのためのリフレッシュドリンク、とか企画書には書かれていたのかもしれない。
ところが2016年には、福士蒼汰だけが残って、少年野球チームが出てくる。そして、今年のキャンペーンだ。
企画書には「原点回帰」とか書いてあったのだろうか。もちろん、想像だけど。
そして、ナレーションなどを聞くと「社会性のあるメッセージ」に仕上げている。サイダーのCMとしては、少々肩に力が入っている気もするが、それもまた企業の意志なのだろう。
でもさ、どうしてみんな「この国」になるのか。それが、昨今の政治的風潮だとか言い出したら、それはそれで言説としてはダメな感じだ。「より売るため」の最善策を考えているうちに、このコピーに着地したのだろう。
しかし、高温多湿な「この国」は、そもそも「爽やか」なのか。いや、だからこそ爽やかなサイダーが生まれたのか。
ちなみに「この国」という言葉が一般的になったきっかけは、司馬遼太郎の「この国のかたち」じゃないかと思う。「日本のかたち」では、まったく意味合いが違う。
そして、今の広告における「この国」流行りを考える時は、やっぱりこの『「日本人論」再考』という名著を読み直したい。
もちろん司馬にも言及があり、今の時代の気分を知るための手がかりになるだろう。
とはいえ、いくら背景の仮説を考えても、やっぱりムズムズは止まりそうにないよ。