浅田真央の引退のニュースには驚いた。いや、引退したという事実ではない。「まあ、そうだろうな」という感じだ。驚いたのは、ニュース量の多さだ。
発表の翌日、NHKニュースは朝昼夜とトップだった。別に何か新しいことがあるわけでもなく、いろいろな人の声を伝えている。しかも泣き始める人もいるので、失礼だけど、これはまるで逝去のニュースのようだと思った。
もちろん、民放も引退関連一色だったようだ。
おそらく、テレビ局にとっては「重要」だったのだろう。そして、その重要さというのは地上波のお得意様の関心を引くかどうかということになる。そして、お得意様はお年寄りだ。
以前からわかっていたことだけど、テレビの高齢者シフトはここに来て一段と進んで、しかもニュースが相当に偏るようになった。最近だと、「小池・森友・真央」でしばらく回るんじゃないだろうか。
僕は自宅で仕事をしているし、昼間の時間は相当に自由に動いている。家で昼飯を作って食べることもあるし、スポーツジムへ行くこともある。ジムにいるのは、高齢者ばかりで、ロッカールームの会話を聞いていると面白い。
「あいつも頑張ってる」というから誰かと思ったら、「小池の娘が」とか言ってた。まあそれなりの歳の仲居さんに「お姉さん」と言うこともあるんだから、都知事を娘と言ってもいいだろう。多分昨年は、舛添氏の買い物内容を熟知していたに違いない。
もちろん籠池一家は人気者だ。浅田真央に至っては言うまでもない。
そしてエアロバイクに座って、とりあえずモニターをつける。昼の番組は、ロッカールームの話題そのものだ。興味もないので音を消したままにしておいて、とりあえずkindleをオンにする。だいたいそんな感じだ。
気が付くと、昼の時間帯に硬派な番組が増えている。つまりターゲットは高齢の男性なのだろう。女性の就業率が上がり、それ以前から在宅率は低くなっている。
そうして、テレビのニュースは彼らの見たいもの、そしてわかりやすいものになりつつある。ロシアで、エジプトで、ストックホルムで、ドイツでテロがあり、来月には韓国とフランスで大統領選挙がある。シリアも北朝鮮も、相当なことになってきた。
それでも、テレビはどこかのどかだ。北朝鮮をめぐる緊張感も、ネットの情報、ことにSNSなどが先行していたように感じる。「小池・森友・真央」でもテレビは回るが、世の中はそういう風に回ってるわけじゃないはずなのに。
ネットでは偽ニュースが問題になっているが、テレビで流しているのはそもそも「ニュース」なんだろうか。あれは、「年寄りの茶飲み話ネタ提供マシン」みたいなものだと思う。
そして、昔は病院の待合室で話していたのが、いまはジムのロッカールームになった。なんかこう書いてみると、「やっぱり日本は平和だ」という陳腐な結論になりそうなのが怖い。
その平和がどうなるかも、相当怪しいはずなのに。