本屋大賞は、直木賞だった。初の「ダブル受賞」ということで、それだけの作品なのだろうけれど、じゃあ本屋大賞って何のためにあるんだろうか。
その趣旨を見ると「売り場からベストセラーをつくる!」とある。でも、「蜜蜂と遠雷」は既にベストセラーだろう。「売り場から」というのは、いわゆる文学賞とは一線を画したいという志だったんだろうけれど、直木賞と「ダブル」なのだ。
もともとは、「プロの目で面白い本を紹介する」ということが趣旨だったんだろう。ところが、近年になって単なる販促キャンペーンにしか見えない。仕方ないといえばそれまでだけど、それが文学界にとってどうなんだろう。
一方で、昨年の受賞作を読んだときは思わず唸ってしまった。「ウウム」と唸るのは、感心した時もそうだけど、逆の時もあって、これは逆の方だ。本の批判をダラダラ書くのは気が進まないけど、とにかく登場人物の行動に必然性がない。心の底にある動機がみえてこない。
そういえば、最近の小説だと『羊と鋼の森』もそうだが、『暗幕のゲルニカ』も唸った。中学生の頃に読んだ五木寛之の小説を思い出す。そうか、中学生だったらいいのかもしれない。 >> 最近の「本屋大賞」は、なんか違うんじゃないか。の続きを読む
4月も10日が経って、早い会社ではもう配属しているんじゃないだろうか。
オフィス街に、同じような恰好をした同世代のグループは段々見なくなる。そして「こんなはずじゃなかった」の日々になる。
まあ、それが普通だし気にすることもないだろう。新人がそうそう仕事ができないのは普通のことだし、新人でもすぐできちゃう仕事のレベルだとすれば、それはそれで問題かもしれない。
ただ、仕事自体はまあ自分の責任だけど、「職場の悩み」は「仕事の悩み」とは限らない。というか、職場の悩みのほとんどは「人に関する悩み」だからだ。仕事ができなくたって、先輩に恵まれていればどうにかなるけど、仕事が回るのに周りの人とうまくいかなければ憂鬱になる。
そうすると、しばらくするとこんなことを言う。
「とにかく、理不尽なんですよ」
理を尽くしてない、道理が通ってないということだろう。 >> 新人が「理不尽です」と言ったら、なだめた方がいいの?の続きを読む
そして「忖度」は今年の流行語になるのだろうか。というか「旧語脚光部門」でもつくって、賞を差し上げてはどうか。そうすると、誰にやるのか。まあ、どうでもいいんだけどこの「忖」の字がまた曲者で、芸能人を集めたクイズなどにはもってこいだっただろう。もう今年から難読でもなくなりつつあるが。
それにしても、首相が「忖度の働く余地は全くなかった」というのも、この言葉の本質を考えれば奇妙なことだ。
まず、忖度とは内面心理のことだ。そして、首相は「忖度される」側なんだから、ないかあるかはそもそも分からない。それを、また第三者が「認めるべき」と言ったり、「あったのか」と尋ねるのも変だ。
この「忖度」を「恋愛感情」に置き換えればよくわかる。「○○から恋愛感情を持たれることはない」と言ってる人がいて、他方に「あれは恋愛だったようなものだと思ってる」という人がいる。
これは、もう外から見ればある種の痴話喧嘩で、それがこの事件の本質のようにも見えてくるからおかしい。
で、話は異なるが「我が家で忖度されているのは誰か?」という話になったのだが、結論はすぐに出た。
猫である。 >> 猫は忖度され、犬は忖度する。の続きを読む