2017年04月アーカイブ
(2017年4月21日)

カテゴリ:見聞きした
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観世能楽堂が、開場した。銀座にできた「GINZA SIX」の地下となる。21日に行われた、開場記念の祝賀能に行ってきた。

正式名称は、「二十五世観世左近記念観世能楽堂」であり、銀座の地へは江戸時代以来の「帰還」ということになる。

祝賀能ということで、「翁」に始めり、休憩を挟んで、仕舞から「鶴亀」、さらに仕舞と続き「高砂」となる。

祝賀能ということもあり、個別の評などを書くのは野暮だとは思うが、「翁」の三番叟をつとめた野村万作には息を呑んだ。鑑賞するというより、舞う姿を呆然と眺めているだけで時間が経っていく。

いったん休止して面をつけるまでの間に、静かな会場に荒い息遣いが聞こえて、控える萬斎の表情が心なしか硬くなったようにも感じたが、見事に演じられていた。

いずれにしても、またのない機会だったが、こうした舞台についてはやはり言を要するものではないのだろう。

というわけで、能楽堂自体の感想などを簡単に。

まず、ホールの立地は銀座通りの面した建物の地下3階だ。通りとは反対に海側の方からだと、エスカレーターでスッと入っていける。もちろん上階の施設とも連絡できるが、この日のように混雑していても静かに訪れることができる。 >> 観世能楽堂の開場、祝賀能へ。の続きを読む



自伝は、割り引いて読んでしまう。もう、失うものがないような人ならともかく、まだ社会の一線にいる人なんだから、「知ってほしい」ことを書く。とはいえ、いいことばかり書いていたらただの自慢話で、誰も読んでくれない。

というわけで、ある程度予定調和になることが多く、「私の履歴書」などにはある種のパターンがある。だからこそ、ニトリの社長の時は結構驚いたけど。

とはいうものの、フレデリック・フォーサイス『アウトサイダー 陰謀の中の人生』(KADOKAWA)は、想像以上におもしろかった。

初めて彼の作品に触れたのは『悪魔の選択』だったと思う。1979年だから、高校に入った年だったのか。そこから『ジャッカルの日』に戻り、当時出版されている本はすべて読んだ。知らない世界を垣間見る楽しさとスリルが本当に面白かった。

この自伝を読んで一番感じるのは、フォーサイスの現場主義だ。彼の小説の基盤は、ジャーナリストとしての活動にあることがよくわかる。しかし、それ以上の面白いのは、生き方そのものだろう。

高校で優秀な成績をおさめてケンブリッジへの入学機会もあったのに「パイロットになりたい」ということで空軍に入る。ところが士官学校を出ていなければ、乗れる飛行機は限られるということで、新聞の世界に身を投じ、やがてロイターへ。 >> 自伝の楽しさ~フォーサイスと蔡英文。の続きを読む



三ツ矢サイダーのCMがテレビから流れてきて、いきなりムズムズ感に襲われた。このムズムズ感は何かと思ったが、あれだ。綾鷹だ。

こちらのエントリーでも書いたけど、綾鷹のCMがムズムズして気になっていた。

「この国のもてなし」

というコピーだ。

そうしたら、三ツ矢サイダーのCMもこう言っている。

「この国の爽やかさが、好きだ。」

おお、そうであったか。かくして、この国の飲料CMは「この国」が目立つ。

三ツ矢サイダーの近年のCMを見ていると、ポジショニングというかターゲット設定を模索していた感じがした。

2015年は多部未華子と福士蒼汰を起用して、「若い社会人」を描いていた。もともとは十代とその親をターゲットにしていたので、「お?」と思い大学の講義などでも取り上げた。ちょうど、黒烏龍茶も思い切りポジションを変えてきており、「働く20代女性」に着目したのだと思う。 >> 綾鷹、そして三ツ矢サイダーもCMは「この国」だらけなわけで。の続きを読む



「学芸員はがん」と言った大臣が、発言を撤回した。

これは、二重の意味で残念だと思う。一つは明らかな罵り言葉で失言したこと、もう一つは美術館や博物館をめぐる議論の機会が失われかねないことだ。

芸術などの世界では先導者の役割が大切だ。たとえば、いまの日本美術への関心が高まったことの一つには、『奇想の系譜』などで知られる辻惟雄氏の存在が大きい。

学芸員という存在はあまり知られていなかったかもしれないが、最近は表舞台に出ることもあるし、その力量が施設や展覧会を左右する。英語ではcurator、一部の方の大好きな「キュレーション」というのはこの辺りが語義になる。

昨年の大みそかにNHK教育テレビ、どうもEテレとか言いたくないけど、そこで「ゆく美くる美」という企画があった。日曜美術館の特別版みたいなもので、美術シーンを回顧して展望する。何名かの学芸員の方が登場していて、その見識や発想がさすがだなと思った。

で、観光との兼ね合いからああいうことを言ったようだが、たしかに優れた企画は人を動かす。僕は今年になってから、熱海のMOAのリニューアルを見たくてわざわざ行ったし、茨城の方で人に会う用事は水戸の展覧会に合わせた。唐招提寺の障壁画が見たかったのだが、遠方からも来ていたようだ。 >> とはいえ学芸員が「聖域」になったら、それはまた違うと思う。の続きを読む



浅田真央の引退のニュースには驚いた。いや、引退したという事実ではない。「まあ、そうだろうな」という感じだ。驚いたのは、ニュース量の多さだ。

発表の翌日、NHKニュースは朝昼夜とトップだった。別に何か新しいことがあるわけでもなく、いろいろな人の声を伝えている。しかも泣き始める人もいるので、失礼だけど、これはまるで逝去のニュースのようだと思った。

もちろん、民放も引退関連一色だったようだ。

おそらく、テレビ局にとっては「重要」だったのだろう。そして、その重要さというのは地上波のお得意様の関心を引くかどうかということになる。そして、お得意様はお年寄りだ。

以前からわかっていたことだけど、テレビの高齢者シフトはここに来て一段と進んで、しかもニュースが相当に偏るようになった。最近だと、「小池・森友・真央」でしばらく回るんじゃないだろうか。

僕は自宅で仕事をしているし、昼間の時間は相当に自由に動いている。家で昼飯を作って食べることもあるし、スポーツジムへ行くこともある。ジムにいるのは、高齢者ばかりで、ロッカールームの会話を聞いていると面白い。

「あいつも頑張ってる」というから誰かと思ったら、「小池の娘が」とか言ってた。まあそれなりの歳の仲居さんに「お姉さん」と言うこともあるんだから、都知事を娘と言ってもいいだろう。多分昨年は、舛添氏の買い物内容を熟知していたに違いない。

もちろん籠池一家は人気者だ。浅田真央に至っては言うまでもない。

そしてエアロバイクに座って、とりあえずモニターをつける。昼の番組は、ロッカールームの話題そのものだ。興味もないので音を消したままにしておいて、とりあえずkindleをオンにする。だいたいそんな感じだ。 >> 「小池・森友・真央」でテレビは回るけど。の続きを読む