春は武蔵野、「第三学区」あたりの多幸感。
(2017年3月21日)

カテゴリ:雑記

春だ。なんだか妙に冷える日が続いて今日も雨だけど、この連休は本当に春だった

単純に嬉しい。

別に遠出をしようとは思わないし、何といっても自宅から半径数キロの辺りが、自分にとっては一番春らしい。

生まれてこの方、東京区部の西の方で育ってきた。公立の小中学校から都立高校へ行ったのだけれど、校歌の歌詞には「富士」か「武蔵野」あるいはその両方がある。幼稚園の園歌もそうだった気がする。

つまり、区内と言っても「江戸」ではなくて、武蔵野だ。高校では、昔の「第三学区」が行動範囲だった。そして、この辺りの春が好きだ。

昼過ぎに、近所にランチに行く。カフェでもいいし、蕎麦屋でもいい。何となくみんな嬉しそうで、ビールを飲む人もいれば子供連れもいる。そして、若い人が入れ替わる季節で、それが何とも言えない空気になる。

もちろん、東京のあちらこちらで、また日本中でそうなのかもしれない。ただ、このエリアならではの特徴がある。

まず、単身者が多い。学校が多いこともあって、一人暮らしでそのまま社会人になっても住む人がいる。春の新生活を迎えて、出会いと別れのザワザワ感が強い。

そして、自然がそれなりに残っていて、いろいろな店がある。それなりに由来があって、クセのある店も多いが、それが独特の雰囲気になる。

そして、もう3代あるいは4代にわたって住んでいる人も多い。関東大震災のあと、大体100年前ほどに人が移り住んできたのだから、そんな感じだろうか。

そういう記憶を受け継ぐように、また似たような場所に住んでいく。

そういえば、若い人が家を買うのを見ていると、とあることに気づいた。都心のタワーマンションは、都内に取り立てて「地元」がないような人が多い。一方で、夫婦のどちらかが都内に地縁があると、やはり馴染の街に住む。特に、区内西部はそんな感じだ。

もっとも、他の地域も似たような傾向はあるだろうが、学生時代の記憶が残っていることが、独特の愛着につながるんだろう。

しかも、幸いにして楽しかったことしか覚えていないので、何歳になっても「いい場所」のままだ。

桜はこれからだけど、民家の庭先に咲く遅咲きの梅とかが楽しい。遠くには行かず、地元を歩いて春の空気を感じるのが毎年の楽しみになっている。

春の武蔵野には、不思議な多幸感がある。