2016年12月アーカイブ
「本質的」という言葉がある。
辞書を引けばそれなりの定義があるけれど、これは結構難しい。
「これからのIoTの本質を突いている」という大上段な話から、「スープの本質を知っているラーメン」までさまざまだ。
そして、「生きることの本質」とかいう言葉を、簡単に使う人もいる。
最近ネットメディアを巡る事件が目立ったが、「そもそもメディアとは」というような議論も目立ってきた。メディアと言いつつ、実は「プラットフォームじゃないか」という指摘もあれば、そういう話にもなるだろう。
まさに本質的な話だ。
ところが、一部にはこういう本質的な話をすると思考が止まる人がいるらしい。「理屈っぽい」「難しい」と感じてしまうようだが、傍から見ていると往々にして理解しようとする気がないらしい。
つまり「本質とは」と突き詰めて考えたことがないのだろう。
たしかに、「本質」という言葉を議論するのは根気がいる。ただし、マーケティングや広告、特にブランドに関するミーティングはこのような繰り返しだ。
なにか企画を考えて説明したとする。すると先輩がいう。
「面白いけど……それってこの商品の本質じゃないだろ?」 >> 「本質を考える」は、「自分の辞書を豊かにする」こと。の続きを読む