折角だから、あと1回くらい今年の本を書こうと思って、最後はアート&音楽篇。
音楽については、以前紹介した『武満徹・音楽創造への旅』(立花隆/文藝春秋)が戦後文化史としても出色だった。
もっと間口は狭い感じがするものの、読みやすくて面白かったのが『マーラーを語る 名指揮者29人へのインタビュー』(ヴォルングガング・シャウスラー/音楽之友社)だ。
アバドからジンマンに至る29人の指揮者に、マーラーの音楽について尋ねていくという構成だ。
マーラーが好きで、いろいろな指揮者を聞いている人にとってはもちろん興味深いと思うけれど、このインタビューはマーラーを通じて「指揮者の思索」を浮き彫りにしているところが面白い。
つまり、「ああ、結構深く考えているんだな」とか「意外とアホだなこいつ」のように、指揮者のアタマの中を開いて覗いているような感じもするのだ。
個人的に面白かったのは、バレンボイムとブーレーズ、あるいはマゼールなど。カラヤンのことを語るアバドや、そのアバドからの薫陶に感謝するドゥダメルなど、指揮者同士の出会いや影響を知ることもできる。
ちなみにブーレーズによれば、マーラーの音楽素材は「葬送行進曲、軍隊行進曲、レントラー舞曲、それだけ」ということらしい。まあ、そうかもしれないけど。 >> 【2016読んだ本から】③音楽とアートなど。の続きを読む
なんども書いてしまうのだけれど、今年を振り返る時に「働きかた」についての話は、とても気になる。ただ「働きかたについての“議論”」というところまで、行っているように思えない。
時間管理や、副業あるいは在宅勤務などの手法的な問題も大切だろうけど「なぜ、何のために働くのか?」という問いがどこかに行っている。
どれだけ働く環境を整えても、意志と目的を失えば人はいつかは病むかもしれない。それは、すべての働く人にとっての課題だろう。金銭的対価を受け取らないいわゆる「専業主婦」だって同じだと思う。
そして、働き方をめぐる議論は妙な拡散を見せている。
今年は始まって早々に「囲碁とAI」のニュースが大きく報じられた。いままで関心のなかった人の興味を引いたのはいいけれど、案の定「人の仕事がなくなるのか?」という話になだれ込んでいった。
おもしろいことに、そういったことを心配する人ほど、目の前の仕事をきちんとやっていないが、メディアが不安を煽るのには格好の客だったのだろう。
その一方で、「適正な働き方」が問われた。こちらは、十年一日のごとく日本人の長時間労働がテーマである。今日は、電通幹部が書類送検されたようだ。
そういう中で、「働く意味」を正面からとらえた一冊が『働くことの哲学』(ラース・スヴェンソン/紀伊国屋書店)だ。筆者はノルウェーの哲学者だが、書いてある内容はいい意味で「普通の発想」だ。 >> 【2016読んだ本から】②働くことの哲学の続きを読む
もう今年もわずかになったので、何か回顧系の話にしようかと思い、読んだ本を振り返ってみようかと思う。感想を書いた本も含めて、ザックリと見ていこう。まずは、歴史関連から。
ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』以来、世界史をザックリと振り返る本がいろいろと出ている。僕も今年の3月にそうしたジャンルばかりを3回にわたって取り上げた。リンク先は①/②/③.
この流れにつらなるのが「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ/河出書房新社)だろうか。帯に、ダイヤモンドの推薦コメントがある辺りが、「ああ、この流れだな」と感じさせてくれる。
人類学的な視点で「認知革命」「農業革命」を経て「科学革命」へという道のりを振り返りつつ、貨幣という“究極の虚構”に焦点を当てていく。
著者はイスラエルの研究者だが、欧米の歴史研究は「なぜ歴史は動いたのか」という根本に迫っている、この辺り日本とは、もう研究の土台からして別物なんだろう。
ただし、さすがに既視感もあるし、少なくてもダイヤモンドなどの先行研究を読んでおいた方がいいだろう。 >> 【2016読んだ本から】①なんとなく歴史系の続きを読む
昨日は天皇誕生日だったが、一般参賀者の数が平成になって過去最高だったという。それ以前はもっと多くの人が来た時もあって二重橋事件ということもあった。テロ事件ではなく、参賀者が将棋倒しになった惨事だ。1954年だから戦後10年も経っていない。
ちょうど「初代ゴジラ」が封切された年のはずだ。
宮内庁のウェブサイトを見ると、平成以降は新年と天皇誕生日の参賀者数が公表されている。ふと気になったので、2005年以降の数字を調べてみた。ちなみに、このグラフのカラーはマイクロソフトによれば「みやび」ということで。 >> 「平成最多」というけど、天皇誕生日や新年の参賀者って増えてるのかな?の続きを読む
「働き方」の問題は、すべての働く人の問題だ。しかし、今回の事件は「広告業界特有の課題」も浮き彫りにしたと思う。
それは、SNS上などで広告関係者がいろいろな意見を述べたことが大きいだろう。同じことが仮に金融業界で起きたとしても、こうはならなかったと思う。
内容はさまざまだが、メディアや世論が電通を「断罪」することについて「ちょっと待って欲しい」という気持ちのものも目立った。それについては、僕も理解できる部分はある。現状を深く知らないで、「ブラック」と囃し立てる人々を決して賢いとは思わないし、彼らが建設的な議論をしているように感じない。
一方で、「広告にはいろいろそれなりの事情があって」という話も、細かく詰めていくと危うさを感じるところがある。
たとえば、広告会社は“発注される側”で、その内容に無理があれば時間だって大変になる、という声もあった。
それは、実態としてはそういう発注元もあるだろう。しかし、あくまでも「企業対企業」の取引である。しかるべきポジションの人どうしが、なぜ契約をしないのか?SLA(service level agreement)のような発想も必要なのかもしれない。
また、「広告のアイデアは工場の生産とは違う」と言う人もいる。クリエイティブはもちろん、マーケティングのコンセプトメイキングも「よりいいもの」を求めれば、それなりの時間が必要なことはたしかだ。 >> 【働き方再考】クリエイティブには「無限の時間」が必要か?の続きを読む