鳥インフルエンザが発生したらしい。
以前に比べれば、極端な大騒ぎにならないように感じる。ただ、それは東京にいるからだろうし、何より現場の方々の対応がしっかりしてきたからだろう。
とはいえ、何十万という単位で殺処分になるのだから、相当に辛いことだと思う。店に行けば、当たり前のように質のいい食肉が手に入る社会にいると、そこに至るまでのプロセスを考える機会は多くない。
ただ、鳥インフルエンザの話を聞くと思いだすことがある。
それは、12年前に日本で初めて感染が確認されて大騒ぎになった時のことだ。それは、自分が会社を辞めることを決めて、既に休みを取っていた夏のことだった。
とある新聞社に入って、関西に赴任していた2年目の記者と会っていた。彼が学生時代に、ちょっとした縁があったのだ。
そこで印象に残る話をした。
この年の前半に、関西のとある養鶏場で大量の鶏が感染する事件があったのだが、彼はその時に現場へ一番乗りしていたらしい。何かのきっかけで現場に行った時は、まだ警察や自治体は来ていなかったための、そのすさまじい現場を目の当たりにしたという。
その後の現場は、もちろんKEEP OUTということだったので、その現場を知るメディア関係者はそうそういなかったらしい。
そして、そのシーンは彼にいろいろなことを考えさせたという。僕は退社する直前だったのでよく覚えている。
養鶏場の鶏は、将来の運命を知らないまでも、とりあえずは守られた環境で生きている。野生動物のように、いきなり天敵に襲われるようなことはなく、飢えとは無縁だ。想像ではあるが、ストレスはあっても、どこか「安心」していたのではないだろうか。
それが、一瞬にして仲間もろとも命を失う。その光景を、彼は生々しくは話さなかった。
ただ、僕が会社を辞めることに強い関心を持っていた彼は、何か感じるものがあったのだろう。
「でも、一瞬だったんでしょうね。もう、その時には誰も逃げられない」
限られたところで餌をもらっていても、飛ぶだけの力はない。その運命が、また哀しい。
「だから、会社だって……」
ハッキリと口にはしなかったけれど、会社にいるということは、誰だってそういうリスクを背負っているのかもしれない。では、そこを飛び出せば好きなところに羽ばたけるとも限らない。
そして、あれから12年以上が経ったけれど、僕はまだ何もわかっていないと思う。