会社員時代の最後の仕事は人材開発セクションで、一番大変だったのは新入社員の教育プログラムだった。2002年から3年間続けていたが、結果的には300人ほどとつき合って、今でも食事をしたりする。
このあたり、SNSのおかげでもあり、なんとなく近況もわかったりする。
先日は、2002年入社の何人かとあった。他の会社に転じたものもいて、それでも2/3ほどはまだ在籍しているという。
僕が最初に彼らに出会ったのは38歳だったが、皆その歳になり、場合によってはもう40歳だ。先日は、みんなそうだったので、つまり僕が会社を辞めた歳になっている。
そこで「40歳になった時はどうでしたか?」という質問をされた。
まあ、それから12年経った今から見ると、実は40歳でかつ独立というのは、相当目の前に平野が広がっている感じだった。「あと30年経ってもまだ70か」というイメージで、少なくてもそのくらいまでは、いろいろ楽しいんじゃないかとイメージしていた。
ところが、いまになると、「もう何年で60なのか」とまったく逆のカウントダウン発想になりやすく、自分のパーセプションをどうすればいいのか考える。
マーケティングの仕事では「消費者のパーセプションを変えるには」とか偉そうに言っていたのに、自分のことになるとなかなかうまくいかない。
その時に話しながら思ったのだけれど、1つには親の年齢の問題があるだろう。僕の同年代と話をしていると、既に親を送っている人が多い。そうでなくても、相当高齢になりいろいろと不安が多い。
つまり、「次は自分」という感覚になる。こればかりは、そういう立場になってみないとわかりにくいだろう。
そして、ふと思い出したのだが、40歳を「人生の正午」と評することがある。これを言ったのは、心理学者のユングで、キャリア論の大学教授の著作で知った。※
まさに自分がそういう歳だったので、強い印象がある。ただし、正午だと言われても、どうしようもない。ただし、「午後の時間は、また午前の時間とは違うよさがあるはず」と考えることにした。
じゃあ、自分がいま何時なのか?これについては、あまり深く考えても仕方ないだろう。いま自分は人生の午後にいるかもしれないが、日没時間は決まっているわけではない。
40歳が人生の正午だとしても、ひとまずそう思えばいいだろう。午後の時間には、午前のようなわくわく感が少なくても、また違う心地よさがあるはずだから。
なんか「人生のアフターヌーン・ティー」のような時間が過ごせるのが、40からの楽しみかもしれない。
というわけで、40歳になった皆さん、素敵な午後へようこそ。
※気になって調べたのだが、ユングは「人生の正午」という概念は述べているが「40歳」と決めているのではないかもしれない。という曖昧な表現で申し訳ないがこちらのサイトを読むと、その可能性が高いと感じた。ただし「人生80年」という前提であれば、あながち間違ってはいないし、ユングもまた何らかの中年期を意識していたことはたしかのようである。