「優秀な学生」の特徴は、いまも昔も「理解と洞察」だと思う。
(2016年11月9日)

カテゴリ:キャリアのことも

大学の講師を非常勤で10年くらい続けているが、よく聞かれるのは「最近の学生はどうですか?」という質問だ。

この時の答えは決まっている。

「優秀なのは、今も優秀。ダメなのは、昔からダメ」

つまり、世代で波があるというより、同じ世代の中でどんな若者が自分の周囲にいるか、で印象は変わると思ってる。

だから「最近の若者は」的な愚痴を言いたくなったら、一瞬考え直した方がいい。それは「自分の周り」にいる若者に問題がある可能性が高く、世代全般の話とは限らないわけだ。

同じ会社に長いこといて、「最近の若手」に違和感を感じたら、それは「その会社の問題」という可能性も高い。優秀な学生は、どこか別のところにいるかもしれないのだ。

で、最近ふと思ったんだけど、この辺りの感じは「アンナ・カレーニナ」の冒頭みたいだな、と。

「幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」

これを大学生について書くと、こんな感じだろうか。

「優秀な学生はどの時代でもよく似たものであるが、ダメな学生は時代ごとにダメである」

昔だったら酒ばっか飲んでグダグダの学生がいて、最近だったら羽目外した写真をツイッターでばらまいたり、とその時代ならではのダメさ加減がにじみ出る。

一方で、「優秀」と感じる学生の特徴は変わらない。ことに、社会人から見た「優秀さ」って何だろう?と思うのだけど、結局は「理解と洞察」に尽きると思う。

まず、理解。これは、相手のいうことを聞いて的確に整理して、自分の持っている知識と「突合せ」ができること。

洞察は、相手の立場に立って言葉を発すること。発言や質問の真意を考えて、咀嚼してから自分の言葉にする。

面接などがスムーズに進んでいく学生の特徴を振り返ると、結局は「理解と洞察」ということになるんじゃないかと思う。

じゃあ、どうすれば「理解と洞察」の力が伸びるのか?これは、「ちゃんとした対話」がカギを握るんじゃないかと思ってる。友達との世間話ではなく、ちゃんとした言葉のやり取りだ。

一つのテーマについて、ゼミの先生や同僚と議論する。接客のアルバイトで、客のニーズを聞く。サークルの運営方法について、仲間と話し合う。こういう機会を、複数の場で経験していると、自然に「理解と洞察」が身につくと思う。

あと、バックグラウンドして幅広い知識を学ぶようにすること。

それは、大学の講義でも意図的におこなうことができるし、学生が行動習慣を変えるだけでモノになると思う。

というわけで、「今の学生」というフィルターで論じるのは、あまり意味がないように僕は感じてる。