フツーにワーグナーを楽しめる凄さ。ウィーン東京公演のワルキューレ。
(2016年11月8日)

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img_2084ウィーン国立歌劇場日本公演

指揮:アダム・フィッシャー

ニーナ・シュテンメ トマス・コニエチュニー 他

2016年11月6日 東京文化会館大ホール

ワーグナー「ニーベルングの指環」

第一夜「ワルキューレ」

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今年は、シカゴとムーティの「巨人」で年が明けて、バレンボイムのブルックナー、ラトルとベルリン・フィルの「第九」というあたりで力尽きた感じもあり、年の後半は蟄居していようかと思っていたのだが、直前になって行くことにした。

ひとことで言うと、こんなに「ワーグナーのドラマを楽しめる」という当たり前のことがすごいと思った。

なんか、賢くない感じの感想をいうと、出てくる歌手は誰もうまくて、鳴っている音が絶品。そりゃ、ウィーンだからといえばそうなんだけど、こういう演奏はやはりなかなか聴けないと思う。

オーケストラはオーボエの太くて豊かな音がしっかりと芯になり、ホルンの音色が全体を包む。クラリネットの歌も印象的だ。ワーグナーのハーモニーがこんなにクッキリとわかることがすごい。団員が、楽譜全体をつかみ、かつ一人ひとりの役割をわかっているということなんだろう。

と書くと、普通なんだけど、それがなかなかできないのがワーグナーの手強さだ。指揮者もその辺りも分かっているのだろう。余計なことをしないから、自然とワーグナーの世界に没入できる。

歌手は本当に表情豊かで、ワーグナーのドラマを堪能できる。ここが日曜午後の東京であることを忘れさせてくれる時間だった。ヴォータンもブリュンヒルデもいいのだが、フリッカの説得力も強くて、兄妹はもちろん、隅々まで隙がない。

オペラの公演、ことにワーグナーとなると「どう歌うのか」あるいは「ちゃんと歌うのか」のようなドキドキ感もあるのだが、それがまったくない。いい演奏は、作曲家がクッキリ浮かび上がるとおもうのだけど、まさにそういう感じがした。

それにしても、ヴォータンが恐妻家で、一本気な娘と粗忽な男がくっつけば、神々も崩壊するよな、とかつくづく思う。これほど人間くさい神の世界を考え出したワーグナーの凄さに圧倒された日だった。

いや、ホント凄いよウィーンは。