今年の3月に京都へ行って、大徳寺、妙心寺、相国寺などの禅寺ばかりを回った。冬の特別公開目当てだったこともあるが、どこも落ち着いて静かで堪能できた。
金閣や清水寺は外国人観光客も多く、相当にごった返しているという。その一方で、禅寺は地味だし、訪れるのはリピーターだろう。
しかし、禅宗美術の名品はなかなかに味わい深い。障壁画や襖絵などを巡り、庭で一息ついていると、これが京都めぐりの楽しみだなぁとつくづく思う。
その時に、「禅」をテーマにした展覧会が京都から東京へ巡回することを知った。最近の和物の展覧会は相当に混雑するので、初夏の京都へ行こうと思っていたのだが調整がつかず、東京で観ることにした。
日中はシニア層で相当に混むので、金曜の17時を狙う。20時まで空いている日は、この辺りが谷間になるのだ。
ところが、東博に行ったら拍子抜けするほどに空いている。おかげで、すべての作品をじっくり間近で見ることができた。ふと、周りを見ると女性客が少ない。たしかに、坊さんの掛け軸が並んでいるようなコーナーも多く、展覧会としての華はないかもしれない。 >> 蔵出し作品が集結で、禅は急げ。「禅 心をかたちに」東京国立博物館 の続きを読む
トランプが勝った、というよりも「ヒラリーが負けた」ことが気になり、それで思い出すのが9月9日の発言だ。
CNNの日本語サイトによると、“彼女は「非常にざっくりと言うと、トランプ氏の支持者の半数は私の考える嘆かわしい人々の部類に入る」と述べ、人種差別主義者、男女差別主義者、同性愛者や外国人やイスラム教徒に偏見を持つ人々だと主張した。”とある。
そして、それを「後悔した」というのが2日後のニュースだ。
この「嘆かわしい」というのは、英語だと何だったのか。同じニュースを報じるCNN英語サイトだと、’deplorables’というわけで、「悲しい」ようなニュアンスもあるようだ。
呆れかえって「ホントに、もう……」というニュアンスなのか。まあ、日本語的には「上から目線」という感じなんだろう。
「何か」あるいは「誰か」を貶す時に、直接その対象の悪口を言うのはともかく、ユーザーや支持者の悪口を言うのは基本的には禁じ手だ。
もう、まったく水準が違うんだけど今夏のポケモンGO! リリース直後に、テレビでやくみつるという人が、ユーザーを「心の底から侮蔑する」と言った。
愚かしい、と言ったそうだが、言ってる方が遥かに愚かだ。このことは、以前ブログにも書いた。
今回の選挙では、「隠れトランプ支持層」がいたというが、こういうのは選挙ではつきものだ。僕は大学時代のゼミで選挙理論と予測を学んでいたが、「隠れ支持者」の多い政党については、その率を踏まえたモデルを作る、と教わっていた。
もちろん米国でもそのくらいのことは昔から分かっていたんだろうが、その隠れ度合いが読めなかったんだろう。
つまり「嘆かわしい」と言われた人は、そういう空気を読んで深く潜行したわけで、この辺りにヒラリーの限界もあったように思う。
まあ、大統領の選出には驚きがあったものの、米国の内外で強い「復元力」のようなものが動き出している。オバマや各国首脳は素早く動き、ウォール街も次の芽を探し出した。
一方で、日本では米国の状況を「惨状」のように嘆く人が多くて、それはまあ、あちらこちらに生息している「意識の高い人」だ。
そういう人の発言や書き込みを見ていると、支持者を見下ろしているようで、まさにヒラリーが言っていることとどこか重なることもある。
ああ、でもそんなことを言っている人の方が、よっぽど「嘆かわしい」ように思うわけですが。
今日あたりは、そんな話で持ちきりだろうから、あえて細かくは書かない。ただ、何となく日本人を含めた国外の人からはわかりにくい「アメリカ」というのは、実は過去に眠っているんだろうと思ってる。
それが、プシュ!と噴出する。共和党の候補が勝つときは、そんな感じだ。ブッシュJr.は父に比べてクレバーなイメージは薄かったが、それを逆手に取った。彼が演じたのは、古き良き米国のカウボーイだったと言われている。
マルボロの広告の世界観で、テキサス出身というのもまたわかりやすい。
ディズニーランドの「ウェスタン」の世界だろう。
というわけで、郷愁のアメリカを音で感じるディスクが、このHoliday for Orchestra! だ。
いきなり「草競馬」で始まるけど、演奏しているのはフィラデルフィア管弦楽団で、指揮はユージン・オーマンディ。
超一流のオーケストラが、この手を曲をしっかりやるところがさすがだ。 >> 「オーケストラの休日」で聴く「あの頃のアメリカ」の続きを読む
大学の講師を非常勤で10年くらい続けているが、よく聞かれるのは「最近の学生はどうですか?」という質問だ。
この時の答えは決まっている。
「優秀なのは、今も優秀。ダメなのは、昔からダメ」
つまり、世代で波があるというより、同じ世代の中でどんな若者が自分の周囲にいるか、で印象は変わると思ってる。
だから「最近の若者は」的な愚痴を言いたくなったら、一瞬考え直した方がいい。それは「自分の周り」にいる若者に問題がある可能性が高く、世代全般の話とは限らないわけだ。
同じ会社に長いこといて、「最近の若手」に違和感を感じたら、それは「その会社の問題」という可能性も高い。優秀な学生は、どこか別のところにいるかもしれないのだ。
で、最近ふと思ったんだけど、この辺りの感じは「アンナ・カレーニナ」の冒頭みたいだな、と。
「幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」
これを大学生について書くと、こんな感じだろうか。
「優秀な学生はどの時代でもよく似たものであるが、ダメな学生は時代ごとにダメである」 >> 「優秀な学生」の特徴は、いまも昔も「理解と洞察」だと思う。の続きを読む
指揮:アダム・フィッシャー
ニーナ・シュテンメ トマス・コニエチュニー 他
2016年11月6日 東京文化会館大ホール
ワーグナー「ニーベルングの指環」
第一夜「ワルキューレ」
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今年は、シカゴとムーティの「巨人」で年が明けて、バレンボイムのブルックナー、ラトルとベルリン・フィルの「第九」というあたりで力尽きた感じもあり、年の後半は蟄居していようかと思っていたのだが、直前になって行くことにした。
ひとことで言うと、こんなに「ワーグナーのドラマを楽しめる」という当たり前のことがすごいと思った。
なんか、賢くない感じの感想をいうと、出てくる歌手は誰もうまくて、鳴っている音が絶品。そりゃ、ウィーンだからといえばそうなんだけど、こういう演奏はやはりなかなか聴けないと思う。
オーケストラはオーボエの太くて豊かな音がしっかりと芯になり、ホルンの音色が全体を包む。クラリネットの歌も印象的だ。ワーグナーのハーモニーがこんなにクッキリとわかることがすごい。団員が、楽譜全体をつかみ、かつ一人ひとりの役割をわかっているということなんだろう。 >> フツーにワーグナーを楽しめる凄さ。ウィーン東京公演のワルキューレ。の続きを読む