既に評価の高い本だと思うけれど、なぜ思い出したかというとUSJがハロウィン企画でおこなった「ジャパニーズ・ホラーナイト」が騒ぎになっていることを知ったからだ。
たくさんの日本人形を集めて恐怖を煽ることに「日本人形協会」が抗議したということで、ニュースになった。
ただこの騒動は、USJ vs. 人形業界という単純な感じでもない。そもそも展示に使われた人形は和歌山の淡嶋神社から貸し出されたものなのだ。だから人形協会の抗議書も、USJとこの神社に送られている。
淡嶋神社は、人形供養で有名なところで、拝殿には人形がこれでもかというほど並べられているし、「心霊スポット」としても有名なところだという。で、この神社だけどウェブサイトを見るとこんなQ&Aまである。
「髪の毛が伸びる人形があるとテレビ等で見ましたが、本当にあるのですか? 又、なぜ伸びるのですか?」という問いなんだけど、「本当にあります。人形は見てもらったり遊んでもらったりするために、生まれてきたものです。そのため、人に注目を集める為に何らかの奇怪的な事をおこすことがあります」ということらしい。
いやあ、USJ以上にしたたかなのは、実はこの神社なのではないだろうか。 >> 「確率思考の戦略論」とUSJの呪い人形。の続きを読む
大学の後期のメディア論は、いまの動向を素材にしている。
最初に簡単なスライド一枚のレポートを出して、教室で共有・講評するが、まずは「任意のメディア企業を選んで、その企業の課題と解決の方向」を書いてもらうというものだ。
まあ、問題意識やそもそものメディア接触を知ることが目的なので、画期的なアイデアを求めているわけではない。
メディア企業の定義は、マスからネットまで広い。ECなどもOKにしている。ただし、「何らかの課題」がある企業を選んでもらうので、その時期にやたらとニュースになっているような企業は指定から外す。2年前のあの新聞社や、今年だとあの広告代理店だ。
さて、今年だけど妙に「人気」だったのがフジテレビだ。比較的小規模な講義だが、やたらと多い。
視聴率低迷、というニュースを目にする機会が多く、「かつてバブル期は」というイメージも重なっているのかもしれない。実際は、2000年代のフジテレビはトップのことも多かったのだけど、そういう感じではないようだ。
ただ、フジテレビが「特に嫌い」というわけでもなく、「かつてはよく見た」わけでもない。どこか「よその国の話」のような感覚なのである。というか、そもそも「フジテレビ」というイメージを、テレビから得ているのではなさそうだ。
学生の情報ソースは殆どがネットだ。フジテレビの不調は、ネットメディアのネタになりやすく、目につくのだろう。
そこで、毎年聞いてる質問をしてみた。それは、民放局へのロイヤルティ、というか好意度を測る簡単な質問だ。 >> 局イメージの希薄化と、「テレビ欄」の関係。の続きを読む
クラシックのコンサートは妻と行くこともあれば、1人のこともある。
1人の時は、シェーンベルクのオペラとか、ベートーヴェンの室内楽とかさまざまだけれど、ショスタコーヴィチやブルックナーも入るだろうか。
今年も行ったが、男の客がやたらと多い。バレンタインデーにバレンボイムを聴きに行ったら、チラホラと女性一人客もいたが「間違えてはいないか?」と気になってしまう。
この小説の主人公の女性も、1人でブルックナーのコンサートに来る。そして、いかにもな男性から声を掛けられて彼らの仲間「ブルックナー団」とのつき合いが始まっていく。
この辺りのニュアンスは、ある程度クラシックを聴いて、コンサートまで行き、かつネットでそれなりの情報を得てないとわからないかもしれない。
というか、「ブルックナー団」というタイトルで、何かを感じない人には縁遠いかもしれない。
小説は、彼らの現実世界のつき合いを書いているが、主役はもう1人いる。
ブルックナーだ。
男たちは、ブルックナーの伝記を書こうと試みている。そして、その書きかけを主人公の元に送る。彼女がそれを読んでブルックナーへの理解を深めながら、読者もまたブルックナーの人生に思いを馳せる。
なかなかに巧妙なつくりなのだ。 >> 不思議に優しい読後感「不機嫌な姫とブルックナー団」の続きを読む
あらためて「働き方」について考えたり、自分のことを振り返ることが多い。一つの事件と、そこから出てきたさまざまな意見が気になって、いろいろと思い出したり自省する。
そして、いろいろな人の声、特に「大人」から若い人への呼びかけは、必ずしも届かないのかな、と思ったりもする。
たとえば、仕事や職場がつらければ「逃げろ」というメッセージだ。それは、たしかに正しいように思える。
でも、自分だったらどうだったんだろう。先週にも「コソコソと定時退社をしていた記憶。」という記事を書いた。あまりにも勤務時間が長いクリエイティブから「逃げた」話でもあるんだけど、それはたまたま幸運だったこともある。
会社ごと辞めようとか、まったく考えてなかった。それは、転職ができるかどうかという発想以前の問題で、逃げるのは「最後の手段」だと思ってた。
つまり、まだまだ「もう少しは頑張れる」という思いがあったのだろう。
ところが、そのうち頑張ることができなくなって、そうなるともう「逃げる力」もなくなるのではないか。いわゆる「ブラックバイト」だって、同じで「辞めればいい」で辞められない理由は、当事者にしかわからない。
逃げようとしても、足がもつれて前に進めない。よく、夢を見ている時にそういう感覚になることはないだろうか。
そういう状況は、現実の世界でも当然に起きてしまう。僕はそこまでの経験はないけれど、想像はできる。
そして、自分はたまたま運に恵まれていたし、平均よりはタフな方だったんだろう。だから、自分で職場環境を選べた。
そう考えると「逃げろ」という時に、ふとためらう。 >> 「つらければ逃げろ」と言うのをためらう理由。の続きを読む
広告代理店に新卒で入社して、最初の配属はクリエイティブだった。30歳の時に希望を出して、研究開発セクションに異動したのだけれど、あれは大きな分岐路だったとつくづく思う。その後、ブランドコンサルティングと人材開発の仕事をして40歳で会社をやめた。
異動の希望理由はいろいろ書いたのだけど、それ以上に大きかったのはクリエイティブがあまりに忙しかったことだ。
結婚した直後だったが、もう真っ当な生活ができない。人によって差はあるだろうが、僕としては毎日深夜になるのは耐え難かった。いまでもそうだが、早い時間から家でダラダラとメシを食うのが好きなのだ。
とはいえ、そんなことを言ってどうにかなるわけでもなく、とりあえず仕事をしているうちに異動となった。
研究開発セクションは、時間的にはそれ程過酷ではない。基本的には個人が勉強して考えたことを組み立てていくので、緊急の無茶な要請に応えることもない。ただし、圧倒的に孤独ではある。
そして、異動の直後は相当時間があって「とにかく勉強して課題を見つける」ことが求められたのだが、仕事自体はみんな早く終わる。
ほぼ定時に帰ることもできて「ああよかった」と思ったのだが、そうはいかないのが人の心理だ。
異動したセクションは、クリエイティブとは隣のブロックのビルだった。退社して地下鉄の駅まで行く途中に、以前通ってたビルの前を通る。もちろん、クリエイティブや営業の社員と顔を合わせることになるのだが、これが何だか気まずい。 >> コソコソと定時退社をしていた記憶。の続きを読む