2016年10月アーカイブ
自然環境が作曲家に与えた影響は、もちろんあるんだろうなと思う。
シベリウスの音楽を聴いて、南国の空を連想するのは難しい。また、「泥臭いけど妙に明るい」と思ったら、「イタリア奇想曲」だったりする。
もっとも、「アルペン交響曲」のようにズバリと言われると、「はい、わかりました」という感じになって、夏の信州で聴いていても妙に納得してしまう。
ただ、作曲家の経験とまったく関係ないのだけれど、勝手に「こういう時に似合う」という音楽があって、僕の場合「ドヴォルザークと里山の秋」は最高の相性だと思う。
なんというか、ドヴォルザークの田舎っぽさというのは、西洋東洋を越えて普遍的なんじゃないだろうか。
チェコの田舎はもちろん、中国内陸の水墨画の世界に合いそうだし、ケンタッキーの草原でもいいんじゃないか。「交響曲」のようにフォーマルな曲にしても、「スーツにネクタイ」という風情ではない。「コーデュロイのジャケットにネルシャツ」という感じがする。 >> 秋で、芋煮で、ドボコンなのだ。の続きを読む