「広告代理店」という言葉を嫌う人がいる。「広告会社」というべきだ、というのだが今一つ理由が分からない。ネガティブなイメージがあるから、というらしいが僕はピンとこない。
いまは現役を引退しているような年代の人がそう言い出したようで、知らないうちに「広告会社」という表現が増えた。
しかし、そうした言い換えは、本質を見失う。自分の仕事に誇りを持っていれば「広告代理店」でいいのはないか。もちろん、事業主体となるビジネスが増えたということもあるだろうが、そうなったら、そもそも「広告会社」ではないだろう。
僕は文章中では、文脈に応じて「広告会社」とも「広告代理店」とも書く。ただ、自己紹介で経歴をいう時は「広告代理店」という。なんか結構響きが好きなのだ。
だって、「人ができないこと」をするってことでしょ。それはまさにプロフェッショナルでなくては務まらない。それに扱いが1兆円を超えても「店」というのも何だかいいじゃないか。
代理店という言葉は、agencyの訳語だろうが、他には旅行代理店ぐらいか。そして、世界で最も凄みのあるエージェンシーは、おそらくCIAだろう。
agentの語源を調べると、「実際におこなう」というような意味があるという。まさに広告代理店の仕事だ。
依頼主に成り代わって、彼らにはできないことをする。依頼主にはない専門的な知識とスキル、あるいはネットワークを駆使して、成果をあげる。その成果に納得されれば、相応の報酬を得ることができる。
そして、代理店は依頼主よりも遥かにたくさんの情報を得て、それをコントロールすることで優位性を維持する。
そこには代理店の「矜持」が求められる。
逆に言うと、この情報優位を悪用したら、すべての信頼はゼロになるのだ。
今回電通が起こした事件の再発防止を考える上でもっとも重要なことは、こうした「代理店」のモラルと矜持をきちんと認識させることだろう。
それは、精神論ではない。また一社だけの問題でもない。
情報という希少資源を扱う者における基本中の基本行動は「常に事実を共有する」ということだ。
だから代理業が成立する。そして、エージェントは「現場を任される人」なのだ。それは、グループ企業や制作会社でも同じだと思う。
もういちど、「広告代理店」としての仕事の意味と価値を考えなおす。それが、いま広告ビジネスに関わる人すべてに求められていることだと思う。