2016年09月アーカイブ

img_1925先日久しぶりに武道館に行った。もう何十年ぶりか、という感じだったが歳をとると見るところが違うものだ。

南2階席に入った途端に、いきなり妙なことに気づく。

正面に「日の丸」が、見下ろすように掲げられているのだけど、「あ、これは参拝なんだ」と感じた。

武道館の日の丸は、どのようなイベントでも掲げられているが南を向いている。そして、舞台は北に設営される。

つまり、客は日の丸とアーチストをともに見るのだけど、これは「拝む」ことにもなる。多くの神社の本殿は南に向いているが、武道館の方位はそれと同じなのだ。設計に際しては方位にこだわったのだろう。座席ゾーンの名称が方位になっているのは必然となる。

ちなみに、南に向かない場合は東向きとなる。すぐ近くの靖国神社がそうだ。

ただ、地図で見ると靖国神社の参道はやや北向きだし、武道館も真北を向いてはいない。その結果、武道館の南北軸と靖国神社の参道が90度になっているように見えるのだけれど、意図的なのだろうか?

そんなことを考えつつ、ふと思ったのだが、テレビで観る相撲はどうだっただろう?あまり観ることはないのだが、たしか左側が東のはずだ。 >> 武道館は「参拝」で、大相撲中継は「神の視座」だった。の続きを読む



電通のデジタル広告を巡る話が慌ただしい。9/23の日経朝刊が「インターネットでの広告掲載について、不適切な取引をしていた」ことを報じていて、間もなく記者会見が始まる。

ある程度前から話は出ていたので、社外でも知っている人は多かったようだ。

金曜16時の発表から逆算するように、休日前の21日に豪州のメディア、翌日はFTが書いて、今朝「親会社」の日経の記事という流れだ。

FTは”overcharging”という表現になっているが、「実際に出稿したよりも多くの金額を請求した」ということだと思われる。

実際の状況は発表されるまで不明だが、こうした不正は広告ビジネスの根源を揺るがすことになるので、影響は相当広がるだろう。

広告の出稿は、広告代理店が依頼を受けてメディアを購入して出稿する。

これが、紙媒体であれば「エビデンス(証拠)」として、掲載紙誌を直接持参すればいい。会社の封筒はよくあるが、代理店の場合大きな紙袋まであるのはそういう理由もある。

これがラジオやテレビになると、もちろん持っていくわけにはいかない。相当な本数が全国で流れるのだから「やりました」というのを信じるしかない。それは、ネットも同じだ。

いわば「納品」を視認できないわけなのだから、広告ビジネスは高いモラルが求められる。ところが、こういう事件は過去にもあった。 >> 電通の「地下空洞問題」と、過去の不適切事件。の続きを読む



41ekb7lnjfl「ハドソン川の奇跡」という映画の邦題が、原題と相当違うということが話題になっていた。原題は「Sully」で主役となる機長の愛称らしい。このままでいいのか?と思案するのはよく分かるが、観た人によっては違和感を感じるという。

映画の邦題は、この辺りが悩ましい。原題でも「スターウォーズ」のような感じだったら問題ないのだが、英語文化の文脈でしかわからないものもある。

じゃあ、オペラだとどうなんだろう?これは基本的には「そのまま日本語」か「そのままカタカナ」だ。

「フィガロの結婚」とか「セビリアの理髪師」のようにいくか、「アイーダ」や「ラ・ボエーム」のどちらかになることが多い。そのまま訳して、かつ短い造語にした「魔笛」というのもあって、これは見ただけでピンと来る。ちなみに「椿姫」はオペラの「トラヴィアータ」ではなく、小説原題を訳している。

まあ、タイトルでヒットを狙おうという業界ではないのだから当然なわけで、古典小説のタイトルと同じような感じだ。

ただ小説でも「あゝ無情」「巌窟王」のようなものもあって、さすが黒岩涙香は興行師的感覚があったのだろう。まあ、さすがに近年は「レミゼラブル」だ。

で、オペラ邦題の傑作を挙げるとすると、ウェーバーの「魔弾の射手」だろう。オペラだけじゃなくて、さまざまな海外作品の「邦題NO.1」だと思う。 >> 上手な邦題私的NO.1は「魔弾の射手」の続きを読む



51xbtfd4gml先日、N響のコンサートを聴いて改めて思ったのだけれど、ムソルグスキーという人は「編曲意欲」を掻き立てる作曲家だったんだろうと、改めて思う。

「はげ山の一夜」の原典版はたしかに野趣あふれて面白いんだけど、それはリムスキー=コルサコフ編曲を知った上でのことだ。

あの編曲がなかったら、やはり「珍曲」として歴史の中に埋もれたようにも思う。少なくても、日本の教科書には載らなかったし、「ファンタジア」で使われることもなかっただろう。(たしか中学の教科書の鑑賞曲だった記憶がある)

そう考えると、腕っこきの作曲家にとってムソルグスキーの曲は、相当に「編曲意欲」を掻き立てられるものだったのだろう。

オーケストラ編曲も、ラヴェル以前に手がけたものがあるようだし、ピアノもリムスキー=コルサコフが編曲したものもある。

その上、ELPや冨田勲などもアレンジをしている。原典版として有名なのはリヒテルだが、そもそもそこに拘る必要はどれくらいあるんだろう?とも感じる。 >> ところで「キエフの大門」って何て読むんだ?の続きを読む



img_1919NHK交響楽団 演奏会

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

2016年9月17日 東京芸術劇場大ホール

ムソルグスキー/交響詩『はげ山の一夜』(原典版「聖ヨハネ祭のはげ山の一夜」)

武満 徹/ア・ウェイ・ア・ローンⅡ(1981)

武満徹/ハウ・スロー・ザ・ウィンド(1991)

ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編曲)/歌劇『ホヴァンシチナ』より第4幕第2場への間奏曲「ゴリツィン公の流刑」

ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲『展覧会の絵』

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ヤルヴィとN響の評判は相当高いのだけれど、やっと聴きにいくことができた。サントリーホールの定期演奏会と同じ曲目で、会場は池袋。東京都の主催公演のようだ。

展覧会の絵が終わって感じたのだけれど、このコンビは相当聴きごたえがある。N響の黄金時代を築く可能性があるし、在京の他のオケにとっては相当な脅威だろう。

N響は「大人のオケ」だ。だから、時によっては退屈とも言われるが、そもそもの水準は高いしレスポンスはいい。だから、適宜オケに委ねつつ、ここというところを締めるようなヤルヴィはN響の潜在能力をフルに引き出す。 >> ヤルヴィはN響の黄金時代をつくるのか。の続きを読む