ふと思ったんだけど、そのうち名古屋は「やたらとファミマの多い街」になるのだろう。他所から訪れたものは単純にそう思うはずだ。それは「やたらと三菱UFJ銀行が多い街」と似たようなものかもしれない。
そもそも「東海銀行」が統合されてUFJになったのが2002年。若い人は、存在すら知らない。
また、サークルKサンクスがファミリーマートになって、メディアの関心は「コンビニ3強」という捉え方だけど、名古屋的にいえば「ユニーグループ」の解体・統合という感じだろう。
考えてみると、名古屋の第三次産業は結構きつい。
僕が、名古屋に転勤したのは1990年だが「五摂家」という言葉が一般的だった。御三家、四天王とは聞くが、五摂家という言葉自体が古めかしい。
松坂屋・名鉄・東海銀行・中部電力・東邦ガスのことを指した。
アレ?と思ったのは、メーカーがないことだ。当時からトヨタは当然の大企業だが、あの会社は「名古屋」ではないということなのだろう。その後も、愛知全体として工業生産はダントツで、三大工業地帯のトップで。失業率も低い。
ただし、それは「愛知」であって、東の三河エリアが支えている。名古屋は尾張エリアで、プライドはあるものの実質は三河に支えられている感じだ。このあたりは微妙な葛藤があって、先のアジア大会の立候補でもひと悶着あった。
先の五摂家にしても、東海銀行は消えたし、松坂屋も統合後は大丸主導だ。名駅の店舗はなくなり、銀座も業態を変える。 >> 栄える愛知と、微妙な名古屋。の続きを読む
広告代理店の営業について、いろんな会社の人、つまり広告主サイドから話を聞くのだけれど、ここ10年くらいは同じような傾向だ。
一言でいうと、「困った時に相談できない」という。その理由は単純で、広告テクノロジー関連の知識が浅いからだ。マス広告以外のことだと、メディアでもクリエイティブでも「スタッフを連れてきます」になる。(ちなみに今日の話で念頭においてるのはいわゆる「総合広告代理店」のことだけど、ネット系においても実情は色々のようだ。)
ただ、連れて来るだけなら誰でもできる。
かつての営業はスタッフを仕切りつつも、一定の専門知識を持っていた。だからこそ、どのスタッフが優秀かがわかる。つまり、優れた目利きだった。そして、ビジネスにおいては、「多頭立ての馬車」を操る馭者のような存在だった。
だから、当人に専門スキルがなくても存在価値があったのだ。
ところが、広告ビジネスはインターネットによって「一から勉強」の必要が出てきたが、それが面倒な営業はとりあえずスタッフを「連れてくる」。ところが、目利きの仕事になっていない。
そこで、広告主は「営業のグリップ力が落ちた」という。馬車の馬が勝手に走っているような状態になってきた。
こうなると、営業の存在価値は低くなるし、場合によってはビジネスを混乱させる。 >> 広告代理店の「営業」の、存在価値って何だ?の続きを読む
電通のデジタル不正事件(記者会見の件もあってこういう呼び名になっているらしい)は、広告ビジネスの組織に関する問題が底流にあるのではないかと思ってる。
先日の大学の講義でも、このケースのことを取り上げた。後期はメディアについて突っ込んだ講義をするので、ネット広告の構造を知るのに恰好の課題だと思ったのだ。
あと、ネットに飛び交う「なんでもかんでも電通陰謀論」などに染まらないようにすることも大切だと思うし。
で、事件を報じる記事を見せて、まず学生にペーパーを回して質問を受けた。当然だけど「なぜ?」という質問が多かったので、日経ビジネスオンラインの記者会見詳報を見せた。
そして、会見の最後の言葉に注目して説明した。以下のくだりだ。
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「いま調べられている範囲のなかでは、最初から『故意にやった』ような内容は確認できていない。まず最初にミスがあり、あるいはミスとはいえなくても(社員の)力量と時間が足りず、発注いただいた通りに広告が掲載されなかった、あるいは、あとから気づいたら(発注された通りに)なっていなかった。たとえば広告主と約束した期間とズレたことを、そのまま報告せず、期間内に掲載されたかのように、事実と異なるレポートを故意にした、というケースはある。ですから報告を改ざんした、という意味での悪意は認められているが、ご質問のように最初から何かしてやろうということは現時点ではない」(太字筆者)
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読んで思ったのだが、これは、典型的な「未必の故意」ではないだろうか。この言葉の定義の細かな説明は省くけれど、「当初から明らかな犯意はないけれど、そうなるかもしれないと思って行動する」という心理状態のことをいう。 >> 電通デジタル不正「未必の故意」はなぜ生まれたか?の続きを読む
糠漬けを入れているホーローパックのパッキンが古びてきたので、注文した。
ネットで消耗品のナンバーを調べて、それを最寄りの店舗に電話で発注する。そして、入荷後に取りにいくという段取りだ。
簡単なやり取りがあって、「入荷は10月1日になります」という。はい、わかりましたでおしまいかと思ったらこう言われた。
「お電話は大丈夫ですか?」
思わず聞き返ししてしまった。僕の電話が異常なのか。いや、きっと電話を掛けるかどうかだと思うんだけど、「大丈夫ですか?」と言われてもわからない。
「おでんを食べませんか?」ではないと思うし。
で、彼の意図は「入荷のお知らせは電話しなくてもいいでしょうか?」という意味だったらしい。10月1日以降であれば開店後はいつでもありますよ、と。
「大丈夫」という言葉は、「丈夫」に「大」がついている。元の意味は「立派な男子」で、まあ、それが派生して「任せておける」みたいな意味になって、「無事」のようなニュアンスでも使う。
ただ、もう10年以上前から「OK」みたいな意味でも使う人が増えてきた。ただ、これも相当変だ。
飲食店などで「お皿、大丈夫ですか?」と言われたら、下膳してもいいか?ということで「皿が割れてませんか?」ではない。ただ、「お酒、大丈夫ですか?」となると「もう少し飲みますか?」という意味だと思う。
別に、「酔ってませんか?」という意味ではないんだけど、もう相当に適当だ。 >> 「大丈夫」という言葉が、とても大丈夫とはいえない件について。の続きを読む
「広告代理店」という言葉を嫌う人がいる。「広告会社」というべきだ、というのだが今一つ理由が分からない。ネガティブなイメージがあるから、というらしいが僕はピンとこない。
いまは現役を引退しているような年代の人がそう言い出したようで、知らないうちに「広告会社」という表現が増えた。
しかし、そうした言い換えは、本質を見失う。自分の仕事に誇りを持っていれば「広告代理店」でいいのはないか。もちろん、事業主体となるビジネスが増えたということもあるだろうが、そうなったら、そもそも「広告会社」ではないだろう。
僕は文章中では、文脈に応じて「広告会社」とも「広告代理店」とも書く。ただ、自己紹介で経歴をいう時は「広告代理店」という。なんか結構響きが好きなのだ。
だって、「人ができないこと」をするってことでしょ。それはまさにプロフェッショナルでなくては務まらない。それに扱いが1兆円を超えても「店」というのも何だかいいじゃないか。
代理店という言葉は、agencyの訳語だろうが、他には旅行代理店ぐらいか。そして、世界で最も凄みのあるエージェンシーは、おそらくCIAだろう。 >> 広告「代理店」であること。の続きを読む