いろいろな名場面のあったリオデジャネイロ・オリンピックだけど、日本選手について僕が印象的だったのは、「もうフィクション作家とか大変だよなぁ」ということだった。
それは、特にチームスポーツで感じたんだけど、もう現実の選手同士のエピソードや、醸し出す雰囲気が創作者の想像範囲を超えちゃったという感じだ。
日本では、スポーツにおけるスーパースターは、フィクションことにコミックから生まれて来た。というか、まだまだ世界レベルから遠い日本のスポーツは、コミックの中で成長してきたわけだ。
そして「大リーグボール」の時代から、日本人選手が本物の大リーガーになって、超一流の仲間入りをしていった辺りから、フィクションの出番は段々と減ってきたと思う。
今大会だと、まず荻野と瀬戸の「子どもの頃からのライバルと友情」というお話があった。
体操は、内村を中心としたチームが優勝して、最後はそのリーダーが個人でも金メダルと獲った。
卓球は男女ともメダルを獲ったが、並んだ時の個性がまるで図ったみたいだし、そして、4×100mリレーは、「できすぎ」というくらいのお話だった。
1人も9秒台もファイナリストもいない中での、チームプレーというのもそうだけど、またキャラクターが光ってる。でも、ドラマの脚本家が「ケンブリッジ飛鳥」なんてキャラクターを考えたら、脚本家が突っ込まれたと思うんだよね。
「いや、ちょっと荒唐無稽でしょ」とか。
でも、現実はもう軽々と先に行ってしまった。 >> 「本物のチーム」が勝った夏。の続きを読む
ロシア革命の時の、英国情報部を巡る歴史ノンフィクションなのだけれど、当時の緊迫感がジワジワ伝わってくるだけでなく、現在にいたる「ややこしさ」のルーツもまた見えてくる。
英国の秘密情報部は、MI6あるいはSISなどの略称でも知られる。フィクションでも有名人を輩出していて、もっとも知られるのは007のジェームス・ボンド。その次が、ジャック・バンコランだろう。(多分)
英国は「七つの海を支配した」歴史を持ち、米国と相まって英語の影響力も強い。グローバルな大国だが、どこか「世界を背負ってる」感じがする。007は英国を守るというより、世界を助けるという感じだし、サンダーバードも「国際救助隊」だ。
その理由が、また何となくわかってくるのがこの本の面白いところだ。
組織の発足は、第一次世界大戦がきっかけになっている。ただし、この時代は共産主義の風、どころか嵐が吹き荒れて大戦末期にはロシア革命が起きた。
情報部の活動は、勢いレーニンのソ連をマークすることになる。と書きたいところだが、ソ連の成立前にまずは「ボルシェビキ」が英国の敵となったわけだ。そういえば、もう、ボルシェビキとか、言葉自体が懐かしい。コルホーズとかソホーズとか、昔の社会科はロシア語を暗記させていたんだよな。
さて、この本は基本的には英国側の視点で書かれる。そして、英国がなぜレーニンを警戒していたのか?それは、レーニンが「世界革命」を唱えていたことも理由だが、もう一つ重要な理由があった。
インドである。これは、不勉強だったなぁと思った。インドの独立勢力に呼応するようにして、レーニン率いるボルシェビキは、その活動を支援しようとした。そうなると、諜報戦の舞台は中央アジアとなり、アフガニスタンあらタジキスタン辺りが鍵を握ることになる。
前半の舞台は、ペテルブルクからモスクワへの潜入が中心だが、後半はユーラシアのまん真ん中となる。そして通信手段が未発達な時代だからこそ「人」を巡る話がとてもスリリングになる。
そう思うと、007がエキゾチックな舞台で切った張ったをやっているのもよくわかる。インドとレーニンの握手は、当時の英国にとっては悪夢だし、あの辺りは英国情報部にとっては大切な庭なのである。現地にとっては、たまったものではないが。
そして、ソ連は79年にアフガニスタンに侵攻し、モスクワオリンピックは大騒動になって、そこから10年ほどで国が崩壊した。その後のアフガニスタンは安定を欠き、英国は深く関与していることの理由も、この時代に遡るわけだ。
ちなみに、この頃のチャーチルは、どうも今一つ判断能力が良くないように思えるんだけど、彼はいつ頃「化けた」のだろうか。それとも、そもそもそういう人だったのか。そのあたりも、また気になってくる。
2週間ブログを休んでいた。特に何もせずに東京を離れたり、お盆の歌舞伎座に行ったりしながらゆるゆると再開している。
その間に都知事選があり、五輪が開幕した。そして、天皇陛下の「お気持ち表明」があり、あのグループの「解散通知」があった。
いろんな意味で、「平成」を思う夏だ。
あのグループは1988年の結成というから、まさに平成の歴史に重なる。そして、25年から30年というのは、ある意味必然的な転換点になりやすい。
それは、世代交代のサイクルだからだ。
かつて「企業寿命30年」という説があった。もちろん数百年続く老舗もあるので、すべてが説明できるわけではない。ただし、急速に隆盛を迎えた会社のその後の波を見ると、一定の共通点があると思う。
30年とは企業にとってどういう年月なのか?
15歳の若い顧客は、中年になる。成長期を支えた30歳前後の社員は、還暦となる。必然的に、それまでの勝ちパターンが通用しなくなるのだ。
平均寿命が短い時代はサイクルももう少し短かったと思うが、現代では30年くらいがその目安なのだろう。 >> 平成とSMAP、そして30年。の続きを読む
昨年は終戦70年ということで、マスメディアは相当な量の特集を組んでいた。
ところが、今年は五輪ばかりで、有名男性グループが添え物のように報じられるくらいだ。朝日新聞デジタルに「このままでは戦争の記憶が消えてしまう」という記事があったが、そうなる理由の一端には、マスメディアの習性も関係しているのだろう。
とか言いつつ、僕が先の大戦についてここで書くのもちょうど一年ぶりだ。その時は山田風太郎の「同日同刻」を薦めた。感情を排して淡々と事実がまとめられていることが、むしろ凄味を生み出していると思ったからだ。
戦争の記憶というのは、往々にして悲惨で辛いものが多い。聞き手はそこから平和の大切さをかみしめることになる。
一方で、終戦の日の前後に語られる話はどこか定型化しているところもある。戦時期の体験はもう少し多様だし、そこから見えてくることもまた多い。
僕は中学生の頃に北杜夫の本を相当読んだ。シリアスな小説から洒脱なエッセイまで多彩な技を持たれる方だが「どくとるマンボウ青春記」は大傑作だろう。
旧制高校から大学時代のことが書かれているのだが、氏が旧制松本高校の寮に入るのは昭和20年の8月1日である。ただし、学徒動員で工場に駆り出されていて、学校は半ば休業状態になっている。
そして、間もなく8月15日を迎える。玉音放送の後に、朝鮮人労働者の「万歳」の声が聞こえてくるシーンは、初めて読んだ時にとても印象的だった。
さらに、その後とある教師が放った一言もすごい。 >> 終戦から始まる疾風怒濤「どくとるマンボウ青春記」の続きを読む