昨日近所の店で1人でランチをしていたら、隣の客が夏の終わりを嘆いていた。
女性2人なのだが、「もう30日なのに」とため息気味だ。しようと思ったことは殆どできず、本棚の整理がやっとだという。もう1人も相槌を打ちつつ、9月からに備えようかと励まし合っていた。
途中でわかったのだが、地元の中学校の先生だった。そうか、生徒が焦っている頃、先生も嘆いてる。なあんだ、「夏休みの宿題」やっていないんだ、と生徒が聞いたら喜ぶだろうな。
いずれにせよ、こうした夏の終わりの寂しい時は、ゆるゆると気を持ち直すしかない。晩夏に限らず、そういう変わり目の季節は「老子」が何とも沁みてくる。沁みる、というと単にしみじみするだけのようだが、老子にはそれなりの不思議なエネルギーがあって、読み返してしまう。
さて、夏には遠出した人も多いだろうが、そうもいかなかった人もいるだろう。いろんな旅する人の話を聞いて思うのだけど、「旅の数や距離と、本人の知恵や見識はあまり関係ない」ということだ。
学生の頃は違った。「1人で世界一周」みたいな経験はそれだけで凄いんだなと思ってた。ただ、段々と「だから、何なんだろう」と思うようになってきた。
ひところは、就職活動で「旅の経験」を語る学生が多かった。世界一周はさすがに少ないだろうが、米国やユーラシア横断などだと、たしかに「語れるネタ」ではある。だから「僕は海外行ったことなくて」という不安を訴える学生もいた。 >> 世界を見たからといって、世界がわかるとは限らない。の続きを読む
社内の風景は会社によって、結構ちがう。
そして、会議室の雰囲気は、まさに風土を表していると思う。一番わかりやすいのは「壁」じゃないだろうか。
広告会社は、僕が入社した30年前から(と書いて今年で卒業30年であることに初めて気づいて驚いた)、壁は「使うもの」だった。
とにかく、何かを貼る。企画だったり、切抜きだったり、壁はキャンバスみたいなのものだった。
つまり「みんなでワイワイ考える」ことが、はなから当たり前だったのだ。
そういう雰囲気は、まだ他の業種では少なかったけど、段々と当たり前になった。コピー機付きのホワイトボードなどが広まった。六本木ヒルズができた時に、たしか壁面をボードにしたような部屋があったと思う。
そして、いろんなところで「ポストイット」が普及した。小さいものを栞にするのではなく、大きめのものに書き込んで持ち寄り、分類していく。いわゆるワークショップの技法も一般的になったが、この普及には広告業界の関係者も相当関わっている。
ことに地方自治体などにも持ち込んだようで、「村おこしの会議に集まった青年団」とかのニュースを見ても、ポストイットがペタペタだ。それが「民主的」だと布教をした人がいたのである。
ただし、最近は相当副作用が強いんじゃないだろうか。 >> ポストイットに罪はないけど、「ワークショップ」は要注意。の続きを読む
【今日の音楽とディスク】 ロッシーニ「弦楽のためのソナタ」 イタリア合奏団
夏が終わろうとしている。というか、お盆明けから東日本は気候不順で、その後の台風ですっかり夏気分は終わった。
オリンピックが終わったことも象徴的だったけれど、あの辺りで今年の夏は店仕舞い。オリンピックは、閉幕前の男子4×100mリレーの爽快感があったけれど、終わると同時に爽やかさとは遠い事件がやたらと出てくる。
そして、さらに台風が来るらしい。
夏になってから、ディーリアスやラプソディ、メンデルスゾーンの無言歌などを紹介してきた。夏とクラシック音楽は、あまり相性が良くないと思っていたけど、探していくとそんなこともないかもしれない。
ベートーヴェンやワーグナーあたりが、ちょっと暑苦しいイメージなのだろう。
そして、ちょっと先取りして初秋にはどんな曲だろう。ブラームスやドヴォルザークは、もう少し秋が深まってからだと思うし、ちょっと夏の余韻がほしい。
というわけで、お薦めはロッシーニの「弦楽のためのソナタ」ということでいかがだろう。 >> 初秋の風が吹いたら、ロッシーニの「弦楽のためのソナタ」を。の続きを読む
今年の初めに、このブログでこんなタイトルのエントリーを書いた。
たとえば嵐とAKBなどを例に出して、メディアの上では「仲がいい男子」と「戦う女子」がもてはやされる、というお話だ。
この傾向、このオリンピックでもその文脈は健在だった。というより強化されてる。
「仲良し男子」については、先日も書いたとおり。で、気になるのは「戦う」どころか、もはや「昭和のスポ根」を地でいく女子の頑張りだ。
レスリングの吉田を中心とした人間模様、ウェイトリフティングの三宅の父子鷹物語、シンクロの鬼コーチと復活劇。男子よりも、汗と涙の密度が妙に濃い。
そして、こうした事実を受け手が望む方向に合わせて、またメディアも演出する。つまり送り手と受け手の共同作業だと思う。
じゃあ、誰が女子アスリートに、スポ根劇を望んだのか?まあ、中高年男性だろう。
閉会式の夜、近所の小さな店で食事をしていたら、こんな会話があった。常連客の一人客同士とマスターが話している。まず若い女性客に向かって
マスター「あのリレー、いい男ばかりが4人も走って最高でしょ?」
女性客「そうですよね~」
と、ここで隣の中年男性が割り込んだ。 >> スポーツ女子に「昭和スポ根」を求めたのは、誰だったの?の続きを読む
リオデジャネイロ・オリンピックの閉会式での、日本のプレゼンテーションにはいろいろと驚いたり感心したりした。ハイライトで首相が登場したことについては、まあ、もともと彼を嫌ったり「許せない」人にとっては否定的だろうから、まあそういう方には「日刊ゲンダイ」でもご覧いただくとして、ちょっと別の角度で見てみたい。
一言でいうと、「首相や大統領があのパフォーマンスができる国」っていうのは、そうそうないことに気づく。
つまり、国内からというより、世界の国から見ると、日本の強みが見えたと思うんだよね。
- 安全で平和な国じゃなきゃ、あれはできない
国内が乱れていたり、ましてや交戦中の国では、首相がああいう振る舞いをするわけにはいかない。今回も、突発的事態があれば日本を離れられない可能性もあったわけで、きっと「プランB」があっただろう。
たとえば、フランスのオランド大統領を見るのは、テロの後の記者会見の悲痛な表情の時が印象的だ。リーダーの姿は、国への印象を左右する。
- トップはいい意味で「軽い」方がいい
米国大統領をはじめ、西洋先進国の首脳はみんなユーモアのセンスと軽妙さを感じるけど、東洋はどちらかというと堅い。また、プーチンなんかは、笑っていいのか怖がればいいのか、ちょっと困るようなところもある。ましてや、軍事力を背景にこわもて外交をやってる国の首脳などは相対的にマイナスに見えるだろうな。
- 「ソフト・パワー」の国だから、できる
考えてみると、世界の国で「首脳がコスプレ」するほどの知名度があるキャラクターは、そうそうない。アメリカの大ネズミくらいじゃないかな。まあ、オバマだったら仮にやってもおかしくないと思うけど。
つまり、首相登場の背景を見ると、相対的に見た日本の強みが浮かびあがってくるように思う。
全体の企画演出が「日本らしさ」を狙っていたのはもちろんだけど、こうやって見ていくと首相を「起用」できる国は少ないと思うんだよね。領土や歴史問題で日本に対して好意をもっていない一部の国の人は不満を持つかもしれないが、広い目で見た外交戦略としては、プラスだと思う。
ちなみに、首相登場だけでなく、全体の企画に対するSNSなどの声を見ると、自分の周りにいる企画畑の友人が皆これほど絶賛していたけど、初めてだと思う。プロはプランニングする人への敬意をしっかり持っているんだなと再確認した。