金曜日の朝一番のニュースでニースの「事故」を知った。NHK-BS1の第一報は、「トラックが突っ込んだ」ということだったのだ。
丸一日以上経っても、背景には不透明な部分が多い。
6月に起きた米国フロリダのナイトクラブの乱射事件もそうだったが、組織的ではない行動だとすると、今回の事件をテロというべきなのか、個人的には少々迷う。
ただ、たしかなことが1つある。それは、その気になった一個人が相当数の市民をあっという間に殺害することが可能で、それがいつでも起こり得る時代になったということだ。
オランド大統領が、黒っぽいネクタイをつけて悲しげな表情で声明を発表する映像もどこか既視感がある。
ダラスの警察官殺害事件の追悼式典に出席したオバマ大統領は「こういう式典に出る機会があまりに多すぎる」と語った。
ここに来て、世界中でとめどもない暴力の連鎖が起きている。それ自体も恐ろしいが、ニュースを聞いている方がどこかマヒしていくことは、それ以上に恐ろしい。
ただし、どうすればいいのかは、誰にもわからないのではないか。
「テロとの戦い」、” War on Terror”という言葉もどこか引っ掛かりがある。いまこの言葉を英語でニュース検索すれば山ほど出てくるが、そもそも何と戦えばいいのか。では、祈ればいいのか。願えばいいのか。(たしかオバマ政権は” Global War on Terror”を公式には使わないと言ったこともあるようだが)
そんなことを考えながら、今朝起きたらトルコのクーデターのニュースだ。この帰趨も現時点ではよくわからないが、もういろんな問題が複雑に絡み合って、世界中で暴力が噴出している。
何かのきっかけで一気に大変なことになるんじゃないか?という妙な感じがあるのだけれど、どこか第一次世界大戦のことが気になる。
シリアやイラクなどはオスマン帝国の一部だった。大戦で帝国が敗れて、いまのトルコ共和国が成立する一方で、アラブ世界は英仏の思惑もあって迷走する。「アラビアのロレンス」の時代だ。
いま起きている欧州から中東にかけての混沌とした感じは、100年前の鬱屈したエネルギーのようなものが、噴出しているようにも思う。一方で、ロシアとトルコの関係や、英国の立ち位置など欧州のパワーゲームの原形が第一次世界大戦なのだろう。
連日こんなニュースが続き、それでも能天気なテレビを見るくらいなら静かに歴史を読み直した方がいいかなと思って頁を繰っている。
第一次大戦については、あまり知らないことも多いけれど時間軸でじっくり読むと、現在につながる脈のようなものがわかってくる。この本は新書で読みやすく、その頃の風刺画を加えていることもユニークだ。
テロの時代に自分ができることは限られているけれど、まずはもう一度歴史を読み直してみようかと思う。