イクメンという「若死語」。
(2016年7月5日)

カテゴリ:世の中いろいろ
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自宅の近所の内科に医者に数回行く機会があった。小児科でもあり、9時過ぎに行くと殆どが小さな子どもを連れた親子連れだ。

そして、父親が連れてくる光景も毎回見る。4組に一組くらいだと思う。

近所に私立幼稚園があるが、父親に連れられていく子も増えた。「育児に参加」というより、もっと自然な流れなのだろう。

で、ふと気になったのが「イクメン」という言葉だ。身の回りでも小さな子どもを抱えて、それなりに父親も奮闘している人を結構知っているが「イクメン」という言葉を生で聞いたことはないし、「彼はイクメン」という話も聞かない。

この言葉を検索してみると面白いことがわかる。人によって異なると思うが、一番上に出てくるのは、厚労省の「イクメン・プロジェクト」のサイトだ。

その後に出てくる見出しだが、ことごとく「イクメン」に対してネガティブだ。

「絶対になってはならない」「もうやめませんか?」「なぜ嫌われるのか?」「夫婦を不幸にする」などなど。

「父親として普通のことをしている」人に対して、何らかの称号をつけようとしている時点で、どこかずれているのだろう。

考えてみれば、これは典型的な「若死語」(わかじにご?)という感じだろう。元はわからないが、途中から政府公認になったあたりで死期が早まった気もする。プロジェクトで「イクメン・オブ・ザ・イヤー」と称して表彰するのはいいかもしれないど、キャラクター部門とか言って「リカちゃんのパパ」や「ウルトラの父」を担ぎ出すのに税金使うのか?

そもそも官製語は、もはや伝説の「E電」や「ウォーム・ビズ」など、若死語が多い。

で、イクメンから派生した「イクボス」「カジメン」その他いろいろ、ほぼ「即死語」となっちゃった感じもする。

考えてみればネットの時代になって、若死語は増えてきた。「なう」って、「イクメン」と同じく2010年に流行語大賞トップ10に入っているんだなあ。「壁ドン」は2014年だけど死期が近づいている気もする。
そういうえば「リケジョ」も若死語になりそうだ。まあ、あの人の存在も大きかったが。

そして「イクメン」もそうだけど、やっぱ「当たり前のことに、名前をつける」というのは、言われる方にとって居心地が悪い。茶葉を出して湯を沸かして、お茶入れただけで「ていねいな暮らし」にされるような、「メディア謹製」の言葉の持つ座りのわるさというのがあって、それに政府まで後押しするのだから「イクメン」という言葉の立場はきつい。

まさに「プライミング効果」が、逆回転している典型的なパターンかもしれない。