まだ報道の段階ではあるけれど、天皇が退位の意向を示されたという。手続き的には皇室典範の改正になるが、いわゆる「譲位」についての規定を決めるのは相当難しいかもしれない。
明治以降は譲位を想定していないのだが、それは政治的な恣意性を避けるためと言われている。
江戸時代は、徳川幕府と朝廷の間にさまざまな駆け引きがあった。幕府の意向、つまり時の実質的政治権力が天皇の即位に影響を及ぼすこともあったわけだ。
そんな古い話を、と思われるかもしれないが現在の典範の規定は歴史的な教訓を含んでいると考えていいのだろう。
江戸時代の朝幕関係で、もっともドラマチックなケースは、後水尾天皇を巡る話だろう。徳川家は二代将軍秀忠の末娘和子を入内させて、天皇家の外戚となることを目論む。
ところが朝廷への監視を強める幕府との間にトラブルが絶えず、婚儀の9年後に後水尾天皇は退位する。この辺り「紫衣事件」などが特に有名だ。
その後9代の天皇の退位理由を見ると、7人が譲位でしかも20代から30代の間におこなわれており、即位した天皇は20歳以下だ。このような運用が実際におこなわれていたことになる。 >> 天皇、徳川家、光琳、そして金銀の行方など。の続きを読む
2016年7月12日 19:00 ヤマハホール
シューベルト:ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 Op.120,D664
ショパン:幻想曲 ヘ短調 Op.49/ショパン/夜想曲 第8番 変ニ長調 Op.27-2/ポロネーズ 第6番 変イ長調 「英雄」 Op.53
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第3番 イ短調 Op.28
ラフマニノフ:練習曲集 「音の絵」 Op.39より 第1番、第2番、第5番、第7番、第9番
.バラキレフ:東洋風幻想曲 「イスラメイ」
(以下アンコール)
シューマン:子供の情景 Op.15-1 第1曲 見知らぬ国と人々について
フィリペンコ:トッカータ
シューマン:子供の情景 Op.15-7 第7曲 トロイメライ
メンデルスゾーン=リスト=ホロヴィッツ:結婚行進曲と変奏曲
ラフマニノフ:楽興の時 Op.16より 第3番
=============================================================================
単に「うまい」ということはもちろんなんだけれど、全体にゆとりがあって、心地よく聴いていられることが、ガヴリリュクの最大の魅力だと思う。
スーツ姿ででゆったりと構えて、少し神経質そうに眼鏡を拭いて、おもむろに弾き始めるといきなり別世界が広がる。姿は端正で、妙なアクションはないが出てくる音楽は絶品だ。
シューベルトはきれいに歌い、ショパンは多彩な音色を響かせる。
後半のロシア系作品は、激しく情熱的だが、「これでもか!」という嫌味がない。
ダイナミックレンジが相当広いが、演奏効果を狙っているのではなく、とても自然だ。
最後の「イスラメイ」からアンコールになだれ込み、フィリペンコのトッカータ辺りで唖然とさせる一方、シューマンでは客席を魔術にかけたような調べを奏でる。
そして、ガヴリリュクは相当ホロヴィッツを意識している、というか好きなんだろうなと思う。メンデルスゾーンの結婚行進曲と変奏曲は、ホロヴィッツが自ら編曲して十八番にしていたが、「イスラメイ」も録音が残っている。
また、アンコールにトロイメライをスッと挟み込むのも、ホロヴィッツの得意技だった。ユジャ・ワンやランランも、ホロヴィッツ編曲の作品をアンコールで弾いているが、この世代は本当にホロヴィッツの影響を強く感じる。
ホロヴィッツの呪縛は相当強く、彼を目指して破綻したピアニストは多いという。そして、死後四半世紀が経って、「曾爺さん」の遺産を軽々と弾くようになった。スポーツ記録のように数字に表れるわけではないが、ピアニストのスキルはもの凄く上がっているように感じるし、ガヴリリュクのような演奏を聴けることが本当に幸せで、来日したら、次もぜひ行きたいピアニストだ。
もう、うまいのは当たり前。彼のピアノを聴くと、幸福な気持ちになれるから。
選挙の前になると、「首相動静」とかが慌ただしい。あちらこちらで演説をして、飛び回っている。「へえ、こんなとこで昼飯食べるんだ」とか、妙なところに目が行くこともあるけれど、今回の選挙で気になったのは「練り歩き」だ。
とにかく、毎日のように「応援演説をしては練り歩き」というパターンだ。
記事検索で「練り歩き」と調べれば、その数の多さが分かる。2014年総選挙の期間で検索したら1回だけだったので、今回は相当練り歩いているのだ。
警備の人は大変だと思うが、この練り歩きはソーシャルメディアを相当意識しているんじゃないかと思っている。
支持するかしないかはともかく、首相が地元商店街を歩いていればカメラ、というかスマートフォンや携帯電話を向ける。そして、ついつい発信する。実際twitterを「(訪れた)地名 首相」で検索すると、結構な数が出てくるのだ。
街頭演説でいくら集まっても、国政選挙はメディアで決まっていくという面はたしかにある。ただし、地方だと首相などの来訪自体がニュースになるし、一定の効果はあるはずだ。ただ、都市部だとそうはいかない。演説がすぐには効かない。だとすれば「撮って拡散したくなる」状態をつくるのは、たしかにうまいやり方だと思う。 >> 演説よりも「練り歩き+拡散」になった選挙戦。の続きを読む
選挙が終わった。
いまの日本の課題山積み状態で、改憲手続きをすることには反対だ。おそらく重要な政策立案が停滞して先送りなるからだ。
だからといって、最近の野党とその支持勢力が「お前らわかってないけど大変なんだぞ」的に、どこか国民に説教している感じはどうしても馴染めない。
「改憲勢力2/3超」とはいえ、いまの手続法だと、そもそも条文ごとに国民が賛否を示す。そう考えると「改憲」を丸ごと否定するのは、実はどこかで国民を信頼していないように感じてる。
それがこういう結果になっていると思う。そして、野党勢力に足りないのは「想像力」だろう。
そもそも、国政レベルで与党は3連勝してきて、安倍内閣の支持率も相当に安定的だ。そういう中で野党勢力に必要なのは「支持者の気持ちを想像する力」だろう。彼らの気持ちを変えなければ、ずっと少数派なのだ。
なぜ、ここまで想像力がないのだろうか。そして、一部の人は思い通りにならない選挙結果を呪詛して、現実をみない。
1つ気になるのは、昨年の安保法案の際の国会デモだ。今回の野党共闘のきっかけにもなったようだが、あそこに勘違いのもとがあったと思う。 >> 野党勢力に決定的に足りないのは「想像力」だと思う。の続きを読む
参院選の投票日が明日になった。憂うつといっても、別に行きたくないとか、面倒くさいとか、そういうわけではない。
ここ何回かの選挙では、投票日が近づくにつれてSNSへの書き込みにも政治的なものが増える。自分の知人が、政治的な意見を述べるのを目にすることが多くなるわけだ。
ただ、恐ろしいことに、政治的発言というのは、その人の理性のありようを露骨に見せてしまう。
自分の嫌いな政党を攻撃するようなサイトを、片っ端からシェアしまくっているような人もいる。それも、自分のコメントがなく「無言でシェア」という感じだ。大概、自分よりも相当年上だ。
なんだか不気味な感じがするので、まあ、そっとフォローを外すことになる。
そして、選挙戦が追い込みになると、怪しい情報が飛び交う。
デマのようなものや陰謀史観とか、そういうのを無邪気にシェアしていて、それが教育に携わる仕事をしている人だったりもする。
つまり、選挙前のSNSはその人の >> 投票日前日、少し憂うつな理由。の続きを読む