日経ビジネスオンライで連載を始めた「ここで一息 ミドル世代のキャリアのY字路」が4か月になった。隔週金曜日で今日も更新なのだが、慣れるまでは毎週書いているような気がする。というか、今でも慣れきってはいないのだけど。
締め切りが前週の木曜日で、そこから校正のやり取りをする。そして、掲載されてホッとすると、次まで1週間もない。毎週連載している方などは、ほぼ毎日何かを書いている感覚なのだろう。
連載自体は「ミドル世代」に焦点を絞っている。若い頃のキャリアは、比較的直線的だ。まずは、与えられた仕事で一流になることに夢中になるだろう。もちろん会社を辞めたりすればそれは相当のY字路経験ではあるけれど、基本は成長基調にある。
ところがミドルの場合は、いろいろだ。明らかにラインを外れるようなこともある。ところが、そのように見えながら、実は会社はもっと深いことを考えていることもあり一筋縄ではいかない。
成長期と異なり、出向からの「返り咲き」も当たり前で、むしろ多様なキャリアパスの中から次代のリーダーを選抜していこうとする動きも強い。ところが、勝手に早合点して自分の未来を決めつけてしまうケースもある。
一方で、独り相撲で迷路に入ることも多い。自分の仕事の意味や会社からのミッションについて、妙に考えすぎてしまう。その結果、いろいろ悩んで心の健康に障る人もそれなりにいる。 >> ミドルの悩みは「多すぎる情報」が原因だと思う。の続きを読む
「誰が好きか」という話は、日本人の大人同士だとそれなりに成り立つと思うけど、細かい業績以上にキャラクターが立っているからだろう。
「ホトトギス」のように、わかりやすい喩えもある。
僕は子どもの頃は、「家康派」だった。3人の伝記を読んで、「最後に勝つ」というところに惹かれたのだと思う。あとは「江戸をつくった」ということにも親近感があった。先祖が会津の佐幕派であったことは後に知った。
ピンと来ないのは秀吉で、信長は面白いけれど、その凄味が理解できなかった。その後は、どちからというと「信長、すげえなぁ」と思うようになったが、やはり家康の方に馴染みがある。
時代によっても変化はあると思うが、70年代前半の高度成長期は秀吉も人気があったと思う。田中角栄が「今太閤」と言われたのが典型だろう。小泉政権の頃は信長が流行ったが、その後はゲームの中での特異な造形と相まって、やはり人気は強い。
家康については、緩い追い風のようなものを感じるが、これは江戸時代への関心が高まっていることと関係あるだろう。「エコシティ」的な視点もあれば、歌舞伎や落語が注目されてることも関係あるだろう。オリンピックを前にして、東京についての「都市論」が再度注目される中で、江戸への関心が高まっていると思う。 >> 信長・秀吉より、家康の時代なのかな?の続きを読む
電車に乗っていたら、若い男女が都知事選の話をしていた。
2人とも都知事選に投票するのは初めてのようで、女性はあまり知識がないようだった。大阪の住民投票とは違うのか?みたいなことも言っていて男性が説明するのだが、途中からスマホで調べ始める。段々と話はそれなりに盛り上がっていくわけで、「ものごとを知る過程」を生で見たのは面白かった。
今回の選挙戦は、過去に比べて相当な激戦になりそうだ。保守系分裂が最大の理由だが、こういう場合は党の推した候補が苦杯を舐めることが多い。そして過去を振り返ると、石原信雄や明石康という官僚出身者も、磯村尚徳というニュースキャスターも敗れている。
この辺り、今回はどうなるのか。いずれにせよ、日本の選挙の中でも、相当特異だと思う。
そして、東京都民の特徴として「ネット好き」ということがあって、これが今回の結果に相当影響すると僕は思う。
ヤフーが今春に発表した調査が話題になった。
「日本は2つの国からできている」というタイトルで、検索における東京の特異性を明らかにしたのだ。
クルマよりもタクシーに関する検索が多く、「中学受験」や「フィンテック」に関する検索もやたらと多い。
それはなるほど、と思うのだけれど、個人的に驚いたのはそもそもの検索回数だ。都道府県別に人口当たりの検索数を見るとダントツに多い。東京を100とした指数で、次点の大阪は2/3にも満たない。隣の神奈川は半分程度である。 >> ネットと都民をなめてはいけない理由。の続きを読む
昨夜、落語会に行った。柳家喬太郎と柳家三三の二人会だった。
前半は三三から喬太郎、後半は逆になる。
三三は枕もそこそこに「締め込み」だが、夫婦のやり取りがスピーディで、言葉の端々までよく練られている。彼の得意な持ちネタだ。
続いて、喬太郎はウルトラマンあたりのネタを長々と話してから「擬宝珠」と言う流れ。これがまた結構変わった話で、彼以外に現在は演じる人はいないのではないだろうか。普通の解説本にはなく、東大落語研究会の「落語事典」にはある。江戸時代安永の頃に原形があるようだ。
中入りを挟んで、喬太郎は新作の「純情日記渋谷篇」で、三三は季節外れの「夢金」と言う流れでお開きだった。
この日もそうだが、喬太郎の舞台がどうも気になる。それは、あまりいい意味ではない。
元々が相当に達者な人だと思う。古典は何をやってもうまいし、圓朝の作品などはたまげたことがある。三鷹の井心亭で聴いた時などは本当に引き込まれた。
一方で、最近の落語会、ことにこうしたホールでは首を捻ることが多い。なぜか妙に力んでいるのか、この日も枕でのウルトラマン話が延々と続くのだが、どこかくどい。落語にしては広いホールだがよく響く杉並なので、時に喧しくなる。噺に入ってからもその傾向は同じだ。
そして、新作なのだけれど、残念なことにこれもまた力で押す感じだった。客席は沸いているが、先は読めるしオチも見える。 >> 柳家喬太郎は迷っているのだろうか。の続きを読む
金曜日の朝一番のニュースでニースの「事故」を知った。NHK-BS1の第一報は、「トラックが突っ込んだ」ということだったのだ。
丸一日以上経っても、背景には不透明な部分が多い。
6月に起きた米国フロリダのナイトクラブの乱射事件もそうだったが、組織的ではない行動だとすると、今回の事件をテロというべきなのか、個人的には少々迷う。
ただ、たしかなことが1つある。それは、その気になった一個人が相当数の市民をあっという間に殺害することが可能で、それがいつでも起こり得る時代になったということだ。
オランド大統領が、黒っぽいネクタイをつけて悲しげな表情で声明を発表する映像もどこか既視感がある。
ダラスの警察官殺害事件の追悼式典に出席したオバマ大統領は「こういう式典に出る機会があまりに多すぎる」と語った。
ここに来て、世界中でとめどもない暴力の連鎖が起きている。それ自体も恐ろしいが、ニュースを聞いている方がどこかマヒしていくことは、それ以上に恐ろしい。
ただし、どうすればいいのかは、誰にもわからないのではないか。 >> テロの時代に、歴史を読み返す。の続きを読む