英国のEU離脱のニュースが、最近の国際ニュースの中では相当大きく、かつ継続的に話題になっている。しかも、大上段の分析ではなく、「身近な自分ごと」として捉えている人が多いようだ。
残留派/離脱派のそれぞれの傾向については、既に多くの解説が出ている。地域・年齢・階層など、いろいろな切り口はあるだろう。ただ、日本人としても何となく察せられるのは「グローバル化という慌ただしさ」への心理と行動が、人によって違うんだろうなということじゃないか。
グローバルとデジタル。この2つの波をどう捉えるか?というテーマは、20年以上前、会社員時代に言われた。人によって違うかもしれないが、もう相当の期間「わかっている」ことではある。
ところが、人によって行動は異なる。
「グローバルを受容して、積極的に動く」(受容/積極)
これができる人は、もうまっすぐに進んでいく。成果をあげている経営者やビジネスパーソンの多くはそうしているだろう。いわば「イケイケ・グローバル」
「グローバルには距離を置いて、積極的に動く」(懐疑/積極)
たとえば地域社会に根差して、そのコミュニティの中で生活価値を見つけていくような人々。まったくグローバルと断絶しているわけではないが、自分のペースを最優先する人は、また着実に増えていると思う。だから「前向きな引きこもり」
「グローバルは受容して、まあ仕方ないからできることはする」(受容/消極)
まあ仕方ないから、できるだけ勉強してやることはやるか。でも、ハッキリ言ってしんどいので、どこかのタイミングでもうちょっと緩い生活をしたいという感じ。本音では相当多いように思う。僕はここにいると自覚している。言ってみれば「とはいえ頑張る」人々。
「グローバルはやってられないけど、自分は何もしない」(懐疑/消極)
この人たちは、そもそもグローバルが何となく気に食わない。でも何かをしたり、自分を変えるわけではない。この波をかぶらないように、どうにか逃げればいいと思ってる。
ところが、自分が「被害者」になりそうになると、一斉に主張する。つまり「それ誰が決めた?」
この最後のグループが、離脱派をリードしたのだろう。そして、日本でもそういう人は結構多い。「そりゃ、グローバルやってられないよな」と言いつつ、自分では何もしない。
こういう人は、グローバル化の中では当然にきつい。ただ困ったことに、本当にやってられなくなると、「どうにかしてくれ」と国にすがり付く可能性が高い。
つまり立派なフリーライダーが、大量に誕生するのという恐ろしいことが起きるのではないか。
彼らは妙な理屈を持っているが、その一方で反論しにくい議論は「上から目線」と拒絶する。そして、彼らの「反乱」は社会全体にとってマイナスになるだろう。
そして「とはいえ頑張る」人に、もっともしわ寄せがいく可能性が高いんじゃないか。そういう意味で、日本もまた岐路だと感じている。