「オレの愛したソニー」という連載記事が話題になった。
ソニーという企業は不思議なもので、社員でもないのにやたらとソニーに詳しいという人がいる。いわゆる「ソニー本」のマニアという感じだが、そうでなくても日本人の関心を惹く企業であることは間違いない。
個性豊かなOBたちのインタビューは、お話としても面白いし、経営を考える上で学ぶことも多い。歯に衣着せぬという表現通りで、存命の経営陣もバッサリだ。それにしても、現役社員の気持ちはどうなんだろう。
で、僕がずっと引っかかっていたのはタイトルだ。これは、編集部がつけたものなので、ソニー自体とは関係ないのだけれど、このフレーズにピタリとくる企業名はそうそうないのではないだろうか。
まず、「愛した」という時点で擬人化されている。つまり、ブランド・アイデンティティが強烈じゃないと成立しない。
そして、何といっても一人称が「オレ」だ。つまり、男性である。ここでは対象が「女性的」なパーソナリティでないと、成立しない。
「オレが愛したクレーム・ブリュレ」ならまあいいけど、「オレが愛した納豆蕎麦」では、成り立ってくれない。「カレー南蛮」も厳しくて、「一枚のせいろ」ならどうにかなるのか。
いや、そういう話ではない。
つまり、このタイトルの中でソニーは明らかに女性だ。たしかに、無理やり「男か女か」と言えば、女性かもしれない。あまり堅牢・剛健のイメージは少なく、昔のデンスケとかはともかく、近年は精巧なタイマーが内蔵されているという噂もあるくらいだ。元の社名は、「坊や」辺りに由来するらしいが、それを知る人も少ないだろう。
そう思うと、このタイトルが大袈裟なようでいながら、実際読むと受け容れられちゃうのは、その辺りが理由なのかもしれない。
だから、このインタビューシリーズは「SONY」という女神を巡る、男たちの愛憎劇そのものでもある。
今でも、未練たっぷりの人もいれば、サバサバした人もいる。「ひどい男に引っかかっちまった」と、あからさまに罵る人もいれば、物静かに「彼女」への思慕を語る人もいる。もちろん、彼らが一目置く男もいる。
それは、ソニーの顧客にとっても似ているかもしれない。
ソニーというブランドは、あまりに多くの人に愛され過ぎた女神だったのか。
そういえば、20年以上前の軽井沢の個人的な記憶が甦る。今はロータリーとなった六差路の交差点は、クルマどうしで譲り合いながらそろそろと進んでたのだが、そこで、盛田氏のクルマとすれ違った。ポロシャツを着て、ブルーのセリカのコンヴァーチブルに乗る姿は、とても鮮烈だった。
たしかに女神にふさわしい人だったのだな、と今あらためて思う。