仕舞「高砂」 藤波重孝
仕舞「天鼓」 下平克宏
狂言「鬼瓦」 山本則孝 山本泰太郎
仕舞「松風」 観世清和
能 「望月」 藤波重彦 森常好 坂口貴信 藤波重光 山本泰太郎 他
2016年6月16日(木)18:00 セルリアンタワー能楽堂
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初めにお断りしておくと、今日のブログは批評ではなく個人的な記録だ。
自らの会を初めて催す藤波重彦さんは、大学の一期下の後輩にあたる。一学年何千もいる私学だが、おなじサークルだった。
ワグネル・ソサィエティ・オーケストラという団体で、彼はトランペットを演奏していた。僕はホルンだったので、比較的近かったこともあり、昨夜はその当時の友人と連れ立って出かけることになった。
藤波さんとは、卒業後ずっと疎遠だった。
最近になって、僕が能を見に行くようになって名前を目にして、「あっ」と思い出した。そういえば、彼はそうした家の生まれだったはずだ。
今春に連絡を取って、再会した。その際に、「藤波重彦の会」を催すことを聞き、この日になった。30年経って、こうした縁にあずかることができたのだ。
「望月」は、仇討の物語であるが、子方の役どころも要となる。長男の重光さんも、そろそろ子方を卒業する歳というだ。
そして、二人がこの会をどれほど大切に思っているかが、ヒシヒシと伝わってくる。望月の結末にいたる感動は、いわゆる観劇とはまったく異なるものだった。
公演を観るのではなく、一つの儀に立ち会わせていただいたという感覚だろうか。
今回、こうして記録を残したのには理由がある。
藤波さんは、デジタルとは疎遠な生活を送っているようで、インターネットには全く触れていないらしい。
再会にあたって、事務局気付けで手紙を出し、携帯からキャリアメールをもらったくらいだ。代わって、というのはおこがましいとは思うが、何らかの形でデジタル空間上に記録を残しておきたいと思ったのだ。
能の世界は、いろいろな意味でデジタルとはもっとも遠い。静かなままであってほしいと願うが、重彦さん・重光さん親子の記念のためにもこうして記録をとどめておこうと思う。
これからも、お二人が素晴らしい活動を長く続けていくことを願っている。
ルイ・ヴィトンについての強烈な印象は、18年前のロンドンのホテルだ。
ちょうど今頃だったが、エントランスにフェラーリが止まっていて、それだけなら驚かないのだが、ナンバープレートがアラビア文字だったのだ。
聞いたところによると、中東からバカンスのご一行が来ているらしい。
やがて、一人だけ民族衣装に身を包み、他はスーツという「大名行列」がロビーを横切っていった。
そして、その列の最後に高く積まれたルイ・ヴィトンのバッグがワゴンに乗せられて静々と動いていく。これが「正しいルイ・ヴィトン」なんだな、とつくづく感じた。
ちなみに、この旅はダービーがきっかけだった。スペシャルウィークとボールドエンペラーのおかげで相当の収益を得たので、敬意を表して英国に行くことにしたのだった。
昨日、麹町の「ルイ・ヴィトン展」を見た。一貫したテーマは「旅」だ。そして、ルイ・ヴィトンの機能性と革新性を前面に押し出した展示だったと思う。 >> ヴィトンの旅、ヴィトンとの旅。【ルイ・ヴィトン展@TOKYO】の続きを読む
舛添都知事が辞めるそうな。
駒崎広樹氏が、『舛添さんを「セコいこと」で責めないで』というブログを書かれていたけれど、本質を突いていると思う。都政の問題は、もっと別のところにあるだろう。
それにしても、今回思ったのは、「じゃあ、誰がセコい知事を攻撃したのか?」ということだ。
まあ、単純に言うと、それは「もっとセコい人」だと思ってる。それは主に高齢者だろう。メディアやリアルでいろいろと観察していると、そう感じる。
都庁には3万もの抗議があったというが、僕の周辺では「それより、ちゃんと仕事しろ」という人が多かった。よく考えてみると、現役でビジネスに関わっている人はそう考える。よほど暇じゃなきゃ、都庁に電話しないし、「仕事してる人に迷惑だ」と思うでしょ。
まあ、平日のワイドショーとか見てるのも、リタイアした暇な人が多い。この手の世論なんてその程度だ。そして、マスコミはヒマな高齢者に迎合して、くだらない質問をする。もっとも、その答えも相当に酷いようだが。
そして都議が聞く「世論」も年寄り中心なわけで、あっという間に知事を追い込んでしまった。 >> セコい都知事を攻撃したのは、もっとセコい高齢者だったんじゃないか。の続きを読む
また、というか最悪の銃乱射事件が米国で起きた。
最近だとパリのテロでもそうだったし、いつも感じるのだけれど、銃撃で多くの人が亡くなった事件の報道は、しばしの沈黙を呼ぶ。
他のニュースを超えて、一瞬時間が止まって言葉を失う。2012年12月の小学校での乱射事件では、たまたま米国内にいたのだが、混乱と恐怖で画面が凍ったような感じになる。
大災害などもで息をのむ瞬間があるけれど、こうした沈黙ではない。少しでも助かるように、というザワザワした感覚だ。
ただし、銃の事件は何か違う。人が人を殺める。それも、短時間に大量の人々を、1人の人間が葬ってしまう。それは、銃という武器の特性かもしれない。
生から死へのプロセスが、あまりに短く瞬間的だ。命乞いも祈る時間さえないまま、この世から去って行く。そして、武器を持つ人間は、遠い距離にいることもできる。
歴史小説などを読んでいて気づくのだが、銃が登場した後とその前では、戦いの描写、ことに「落命の瞬間」の描き方が全く異なる。
一番わかりやすいのは、日本の戦国時代だろう。ちょうど、鉄砲が導入されていく過程にあるだけに、作者によって描写の味付けが異なる。考証の詳細はわからないが、やはり劇的な場面においては、槍や刀が登場する。
もっとも、吉川英治の三国志のように、英雄同士が刀で戦い「数百合を数えて」というのはかなり大袈裟だろう。ただし、その後も「剣豪小説」は成り立っても、銃だとなかなかそうはいかない。 >> 銃と沈黙。の続きを読む
泡坂妻夫という名を聞いて、「そうそう」と思う人は少ないかもしれない。1933年、つまり昭和一ケタの生まれで、2009年に75歳で没している。
東京神田の紋章上絵師の家に生まれて、家業を継ぎながら作家活動をしてきた。また奇術に造詣が深く、作品にもよく登場する。ミステリー小説界では、一目置かれる存在だった。しかし、彼の作品の多くは誰にも真似できないような独特の技によって精緻に組み立てられている。
小説の世界は、普通の街並みや人々が出てきて、ミステリー独特のおどろおどろしい世界ではない。ただ、どこかねじれたような奇妙な事件が起きていく。
深刻な話は少ないが、どこか人の心理を虚をついたようなところがあって、ドキリとさせられることもある。
また、氏の作品に登場する人は、みなどこか飄々としている。そして、何よりも肩に力の入ったところがない。ミステリー作家の中には、構想が大きくなるほど、どこか大上段になる人もいるが、あくまでも粋だ。小説の構成を考えて、読者を騙すことをどこか楽しんでるようで、それが登場人物の飄々とした雰囲気とどこか重なる。
絵師、奇術師、そして作家を多面的な才能を持った方だが、まさにプロの職人だ。 >> ジンワリ楽しい、昭和推理の傑作「亜愛一郎」シリーズの続きを読む