2016年06月アーカイブ
(2016年6月13日)

カテゴリ:世の中いろいろ

また、というか最悪の銃乱射事件が米国で起きた。

最近だとパリのテロでもそうだったし、いつも感じるのだけれど、銃撃で多くの人が亡くなった事件の報道は、しばしの沈黙を呼ぶ。

他のニュースを超えて、一瞬時間が止まって言葉を失う。2012年12月の小学校での乱射事件では、たまたま米国内にいたのだが、混乱と恐怖で画面が凍ったような感じになる。

大災害などもで息をのむ瞬間があるけれど、こうした沈黙ではない。少しでも助かるように、というザワザワした感覚だ。

ただし、銃の事件は何か違う。人が人を殺める。それも、短時間に大量の人々を、1人の人間が葬ってしまう。それは、銃という武器の特性かもしれない。

生から死へのプロセスが、あまりに短く瞬間的だ。命乞いも祈る時間さえないまま、この世から去って行く。そして、武器を持つ人間は、遠い距離にいることもできる。

歴史小説などを読んでいて気づくのだが、銃が登場した後とその前では、戦いの描写、ことに「落命の瞬間」の描き方が全く異なる。

一番わかりやすいのは、日本の戦国時代だろう。ちょうど、鉄砲が導入されていく過程にあるだけに、作者によって描写の味付けが異なる。考証の詳細はわからないが、やはり劇的な場面においては、槍や刀が登場する。

もっとも、吉川英治の三国志のように、英雄同士が刀で戦い「数百合を数えて」というのはかなり大袈裟だろう。ただし、その後も「剣豪小説」は成り立っても、銃だとなかなかそうはいかない。 >> 銃と沈黙。の続きを読む