最近はいろんな会社で、経営者をめぐる騒動が目立つ。昨日はベネッセのニュースが目立ったけれども、セコムの会長社長解任というのも驚いた。もっとも驚いたのはセブン&アイを巡る一件だったけれど、経営者を決定するシステムが変化していく過渡期にある中で、今後もこうしたことは起きていくのだろう。
『社長解任 権力抗争の内幕』という本が出ていて、これはさまざまな会社の経営実権をめぐるドキュメントだ。2月の出版で、東芝の騒動が最後に描かれるが、多くは昭和のケースである。住友銀行、関電、新日鐵あるいはフジサンケイグループなども取り上げられる。さまざまなトラブルのあとで、立ち直った企業もあれば、どこか引きずっている企業もあるのだろう。
それにしても「今とは時代が違うよな」と感じる点もあった。
1つは労働組合の存在感だ。いまとは比較にならないほどに大きい。ここまで経営に介入していたのかと改めて思う。
もう1つは、いわゆる「裏社会」とのかかわりだ。現在においてどうなっているかは何とも言えないが、想像以上に露骨な時代もあったのだと感じる。
この辺りは、「時代のちがい」を感じるのだけれど、「全然かわってないなぁ」と思うこともある。
それは、いまだに日本の企業は「男同士の権力争い」に振りまわれていて、もっと端的に言えば「爺さんの嫉妬」がややこしさを倍増させているということだ。もともと男性優位の社会で、ようやく女性の社会進出が増えたとはいえ、この手の経営問題にかかわっているのは男ばかりだ。
そして、場合によっては相当高齢で、これは昭和から変わっていない。そして、記者会見の言葉などを聞くと、どうもその端々には「嫉妬心」がにじみ出ているような気がする。
特に、自分より若い実力者に対する心理は、「嫉妬」という言葉で説明した方がいいのではないか。「後継者を育てられなかった」という時、その最大の障壁になっていたのは内なる嫉妬心だと思っている。
この辺りを見事に描いたのが、山内昌之氏の『嫉妬の世界史』(新潮新書)だろう。太田道灌、アレクサンドロス大王、近藤勇などの名前が出てきて、その当時に複雑な心情と、それによって歴史が動いていく過程がじっくりと炙り出されてくる。
昔の話だよな、と思っている間はともかく、これが近代になってくるといよいよ身に迫る。ことに「石原莞爾と東条英機」は日本人なら「あぁ」と嘆息したくなるだろうし、同時代のヒトラーとロンメルも同様だ。世界の裏を抉った本は多いが、これは傑作だと思った。
そして、多くの企業で日夜こうした嫉妬心が渦巻いているとなれば、会社員にとっては他人事ではないのだろう。
「げに恐ろしきは男の嫉妬」この言い回しは、高校生の頃「パタリロ!」で知ったと思うのだが、齢を重ねて改めてジワジワと実感しているのである。