以前勤めていた会社の後輩にあたる、斎藤迅さんから「一瞬でやる気を引き出す38のスイッチソング」 を恵送頂いた。
カテゴリーを超えて様々な曲がリストにあって、それは音楽が人々を励ましてきた歴史の縮図のようだ。
その中で「ふるさと」についても書かれていた。本書には数少ない日本の曲だが、この詩にはちょっとした仕掛けがあり、そのことを僕は高校の先輩から聞いた。高野辰之 による有名な歌詞は次の通りだ。
兎追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷
如何に在ます 父母
恙なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出ずる 故郷
志を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷
よくある話だとは思うが、子供の頃は「うさぎ美味しい」だと思ってた。昔の田舎ならそんなものだろう、と思ってたのだ。もちろん「ジビエ」など知るわけもない。
本書にも書かれているが、一読してわかる通り、望郷の歌であり高山は実際に東京で仕事をしていた。そして、3番の歌詞が「破格」だと、教わったのだが、説得力のある話だった。
1番、2番は故郷の回想だ。いわば作者の背中にふるさとがある。ところが3番は、180度変わる。気持ちは故郷にむかっている。
しかし、青き山も清き水も、過去の思い出ではない。未来永劫「そうあり続けてほしい」という作者の願いなのではないだろうか。
前半、「故郷」にかかる言葉は「忘れがたき」「思い出ずる」という本人の記憶に基づく心情だ。ただ、3番のみは「あってほしい故郷の姿」であり、記憶ではない。そして「故郷」という言葉が二度歌われる時、それは「距離の離れた地点」ではないことに気づく。
実際に口ずさんでみると、それはすぐにわかると思う。3番で劇的な転換があるはずだ。
そして「田舎を思い出す歌」ではなく、あまねくすべての人にとっての「原点」となる。僕は東京で生まれ育ったが、母校の友人や先輩、あるいは勤めていた会社、そして家族という存在が「ふるさと」だと思ってる。だからたまに会う人と「いまこうしているよ」と話すことは、「いつの日にか帰らん」という思いの共有なのだろう。
東日本大震災の後に歌の輪が広がり、「ふるさと」もよく歌われた。その時に、多くの人の心に響いた理由はここにあったと思う。
「ふるさと」はけっして、センチメンタルな回想譚ではなく、静かな凄味を持った曲なのだ。