「住む」と言えばいいのに、「住まう」と書くのはマンション広告の常識のようになってしまった。個人的な記憶だが、関西出身の方から「どちらに住まわれているの?」と聞かれた経験はある。
だから、西の方の言い回しかと思っていたが、どうなんだろう。ただ、広尾には「住まう」ようだが、「大字狸洞」だったらどうなのか。「住まう」はどことなく上品な感じだが、会話ではまず聞かない。
こうした、ある種の「文語表現」は、ネットの広まりとともに目立つようになった。典型は「食」に関する言い回しだろうか。
「食す」というのは、「住まう」に近いのかもしれないが、文語的でどこか上品だ。ネット上にやたらと食事についての投稿で増える中で出てきたんだろうか。食べているものも、ちょっと上品で鮨やフレンチというイメージだ。
「食らう」というのは、ちょっとぞんざいな言い方になる。「喰らう」という表記もあるが、焼肉やお好み焼きとか、ガッツリした食事のイメージか。「パンナコッタを食らう」とか言わないだろうなあ。
書いてみて思ったが、なんか洗面器くらいの容器一杯のものをガンガン食べている感じになる。これも口語的に言えば「食らえ!」みたいになり、一番よく使いそうなのは「クソくらえ」じゃないだろうか。
まあ、そういう世界である。「漢」と書いて「オトコ」と読ませるのが好きな人が使っていそうだ。
そういえば文語表現的ではないが「食わせる」という言い方をする人がある。「あの路地裏に、ウナギの串焼きを食わせる店があって」という言い方だ。
「食わせる」対象というのは、どちらかというと犬や猫だ。そういえば「豚に食わせろ」という面白い小説があった。(豊田行二の作品だが気になった人は調べてみてください)
まあ、自分ことを卑下するように言っているんだろうけど、どこか通ぶっている響きもあって、ぞっとしない。(ちなみにこの言い回しもよく誤解されるんだよな)
いずれにせよ、食事のことをあれこれ言う時には、ちょっと「照れ」のようなものがあり、それがこうした表現のバリエーションにつながっていくのだろう。
そういえば、この手の表現を使うのは男性ばかりのような気もするが、いずれにせよネットにおける食批評は転機を迎えている気もするのだが、それはまた別の機会に。