ポリーニとマッカートニーは同じ歳だったんだなぁ。
(2016年4月24日)

カテゴリ:見聞きした

プリンスが他界した。1958年生まれということで、ふと思い当たって確かめたらマイケル・ジャクソンの生年と同じだった。

アーチストの年齢というか、そのキャリアはちょっと特異で、若くして有名になることも多いためピンと来ないこともある。

先週の土曜日に聴いたマウリツィオ・ポリーニは74歳だが、1942年生まれの有名なミュージシャンはポール・マッカートニーだ。カテゴリーは異なるが、それぞれの世界で「戦後を代表する」と言って間違いないだろうし、「最高の」という惹句がついてもおかしくはない。

ところが、この2人が同年齢ということも、またちょっと不思議な感じがする。

実は世に出たタイミングは2人とも近い。ビートルズのデビューは1962年だが、その2年前にポリーニは18歳でショパン国際ピアノコンクールに優勝している。ちなみに5年後の優勝者はアルゲリッチだ。

ビートルズが解散するまでの活動について今さら書くことはないが、この頃のポリーニは表立った活動をしていない。1968年にショパンのアルバムを出しているが、その後本格的な録音を始めるのは、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3楽章」で世の度肝を抜き、ショパンの練習曲集で世評を確立した。

つまり、マッカートニーは20代にして頂点を極める一方、ポリーニは30を前にして本格的に世に出ることになる。

そして、1980年代、つまり40代の彼は名実ともに世界を代表するピアニストだった。来日時に青少年のためのコンサート」という企画をおこなっていて、僕も行った記憶がある。いま調べたら高校2年の春先だ。

年齢限定で低価格というコンサートだったが、自らのピーク時にこんなことをしていたのだから恐れ入る。開場後もリハーサルと調律が長引きロビーで待ち、ピリピリとした緊張感の中で、硬質で引き締まった演奏が繰り広げられた。

一方でマッカートニーにとって、1980年は節目の年だ。成田空港で不調法なことをする一方、秋にはジョン・レノンが他界した。もちろん第一線ではあったもの、長いキャリアの中では転機の時代だったように思える。

70代になってからの、それぞれはまた異なった姿を見せている。マッカートニーは2012年のエリザベス女王即位60周年式典や、ロンドン五輪などで存在感を見せつける一方、2014年の来日は多くの期待の中で中止。しかし、翌年に再来日して武道館のライブはその価格設定も含めて話題になった。

一方のポリーニは、もっと葛藤を抱えているように感じる。ピアニストで、しかも壮年期に「完璧さ」を期待されていたのだから、いまの自分のことはよくわかっているだろう。。それでも、先のコンサートの終盤のように、音楽の宝物を授けてくることがある。

まあ、同じ歳というだけで、活躍の世界が異なるこの2人を比べるのはあまり意味がないかもしれない。しかし、50年以上第一線であり続ける中での曲折を見ていくと、いろいろと感慨深いし、勇気づけられるところもある。

いま鳴っている音楽は、彼らの人生における「中間報告」であり続けているのだろうし、だからこそ聴き手も惹かれていく。そう思えば、どんなカテゴリーでも魅力の薄い人は、半端な結論を出して安住しているように感じるのだった。