2016年04月アーカイブ

 

この時期になると、新入社員が現場に配属されている会社も結構あるだろう。歓迎会をやってトレーナーを決めて、毎年恒例の風景になる。

で、新人の育成については、昔から対照的な発想があって未だにそれが生きているように思うので、それについて書いておきたい。

1つは、古典的な徒弟制度の流れをくむ発想である。とにかくトレーナーと行動をともにする。寝食をともに、とまではいかないが飲食なども大切にする。ひたすら「背中を見て覚える」わけだから、効率がいいとは限らない。

やり方を教えるよりも「自分で考えろ」ということになるので、遠回りになることもある。

もう1つは対照的な合理主義である。仕事を可視化して、そのためのスキルを効率よく教えていく。私的な時間は切り離すし、外部からの知識の吸収にも熱心だ。

多くの新人にとってはストレスも少ないし、組織としてのリスクも少ないと言えるだろう。

ただし、そこに欠けているものも結構あるのではないかと思っている。

まあ、それぞれのいいところを組み合わせればいいのだろうが、あえて言えば僕の感覚に近いのは前者だ。 >> 新人には「星座」を教えない方がいいと思う理由の続きを読む



IMG_1534所用があって、日曜から軽井沢に1人で行った。

今朝は昼前に出立して、時間のゆとりもあるので高速道路には乗らず、和美峠を下る。国道254号線、つまり川越街道から下仁田に抜けていくルートへ出て、その後は東に向かい高速に入ろうと思った。

途中で適当に昼飯でも食おうかという算段だ。

高速が開通してから、18号も254号も沿線の店は廃れている。「ドライブイン」は廃墟となり、コンビエンスストアや「セレモニーホール」、つまり葬祭所になっていたりする。時代の変化と言えばそれまでだが、空き地のままになっていないエリアはまだましで、痛々しい廃墟も多い。

南に下って国道に出る前に妙な看板がある。「芹生」と書いてあるが“釜揚げうどん”を出す店らしい。ただ、同じようなところに「芹の湯」という場所もあるようだ。裏道を走ると、ログハウスというにはややくたびれた建物がある。

さてどうしようか、とネットを見ようと思ったら圏外だ。まあ、中に入ってみることにした。ちなみに、後で調べたらウェブサイトはこちらにあった。

温泉は500円で、食事だけでもいいという。折角なので、まずは湯に入ることにした。ぬるりとした感じで、すぐに体が温まる。ちょうど先客の方が出る頃だったので、1人でゆったりと浸かる。

いったい誰がいるのだろうか、と食事処を見ると結構賑わっている。隅っこに積んである座布団を持ってきて、釜揚げうどんIMG_1539を注文した。

程なくして、ガスコンロと大きな釜が出てきた。カセットではなく、栓につないで点火する。そして、うどんと薬味とつゆが置かれた。

うどんは手打ちで、初々しい。大盛りのネギと細切りの柚子が薬味だ。

湯が沸いたらうどんを入れて15分ほどで食べごろになる。まずうどんと薬味を椀に入れてから、つゆをかけるようにと言われた。段々と湯が混じってくるので、そこで足しながら食べるとちょうどいい塩梅になるという。

周りをみると、高齢の女性が4人で寄せ鍋を突きながら生ビールや酎ハイを飲んでいる。その向こうは、3人組がモツで宴会。

右隣では中年の女性とその母と思しき女性がソースカツ重を食べていたが、やがて二人ともウトウトし始めて横になって寝てしまった。左隣では相当な齢と思われる老婆が立派な焼き魚を突いていたが、残した分をプラスチックのパックに入れてウトウトし始めた。

IMG_1542つまり、両脇の客が寝ている中で、湯を沸かしてうどんを茹でることになった。。

そして宴会は続き、寄せ鍋を食べた4人組は焼きそばとイカフライを注文する。4月の月曜日の、12時過ぎに群馬の山中ではこんな光景が繰り広げらているのだが、なんか「夢に出てくる風景」のような趣だ。

注文から鍋のセットまで10分ほど、湯が沸くまで10分、面が茹で上がるまでさらに15分。

茹ったうどんに薬味を乗せて、つゆをかける。麦のうまみが素朴に口の中に広まり、ネギと柚子の香りがジンワリと響いてくる。べつにあちらこちらのうどんを食べ歩いたわけではないが、こんなうどんは早々食べられないだろう。

途中で気付いたのだが、僕はこの店に来たことがある。妻と一緒でおそらく20年ほど前だと思うが、店の方と話をしていて気づいた。それ以来走る機会も少なかったが、同じようなことをしているものだ。

食べ終わって、勘定する頃には注文から1時間近くが経っていた。こんな謎の世界があるんだけど、軽井沢から南へ30分足らず。電波も入らないので人理で行くなら紙の本を持っていた方がいいかもしれない。

クルマで一人旅をする時に大切なのは、「予定を入れない」ことだと思う。電車で「連れて行かれる」のも楽しいけれど、フラフラした道中を楽しむのはクルマしかない。それは、歩いて旅した時代の感覚にも近いのかもしれない。

それにしても、日本は深く、というか群馬がすごいのか。

ちなみに峠道で幾度となく見た山桜はいずれも美しくカーブの先に青空を背景に登場するときには思わず息をのむ。桜も野生の花、という当たり前のことを痛感するのだ。IMG_1532



614QuQeJLDL【読んだ本】立花隆 『武満徹・音楽創造への旅』 (文藝春秋)

武満徹が亡くなって20年になる。

仮に生きていれば、いま85歳ということだが、同年代の黛敏郎、5歳ほど上の芥川也寸志、團伊玖磨ら「三人の会」のメンバーも鬼籍に入った。團を除くと、60代半ばで逝っている。盟友の小澤征爾が80歳で闘病を経てタクトを握っているが、「戦後楽壇」のうねりは大きな潮目を迎えている。

「武満徹・音楽創造の旅」は、立花隆が武満に対しておこなった長時間のインタビューをもとに、その創造の歴史を追っていくドキュメンタリーだ。核になるのはインタビューだが、もちろんそれだけではない。関連する文書を探り、関係者の証言などを交えて再構成される。

それは、武満徹の創造性を訪ねるだけではなく、日本の戦後文化をもう一度再確認する旅でもある。だから武満という人物の評伝であるとともに、「文化史」の文献としてもとても貴重なものだ。

ただし、この本はまた異様な存在感を放つ一冊でもある。800頁に近い大作であるというだけでなく、武満と立花の思い入れのようなものが凝縮されている。そして、暗い伏流が、影のように通底しているように感じる。

それは、この本が成り立った過程にあるのかもしれない。 >> 渾身の日本戦後文化史『武満徹・音楽創造への旅』の続きを読む



カップヌードルのCMがオンエア中止になった。CMそのものにも、またオンエア中止ということにも、いろんな問題が複雑に絡んでいるように思う。

箇条書き的に雑感を

  •  あのCMを見た時は「よくやるなぁ」と思ったけれど、「すごいな」という感じではなかった。王道感はうすく、いかにも「搦め手」からのアプローチだなあと思う。「お騒がせ」の人々をあのように起用すれば、たしかに話題にはなる。
  • カップヌードルは日清食品の看板ブランドだし、広告の歴史にも華がある。今回に限らないけれど、堂々としていればいいようにも思うのだけど、そうもいかない事情があるのだろうか。ただ、日清食品は広告を上手に使いこなす企業だと感じていた。
  • それだけにクレームで止めてしまうのは、いろんな意味で残念、というよりまずいと思う。気に入らない広告に対して、文句をつければ止められるというのが普通にできるのか?という理解が広まる可能性がある。
  • 広告もまた一つの言論活動であり表現だ。べつに法律論を出すことはないだろうが、一度出したものには責任を持ってほしいし、クレームで引っ込めるくらいなら最初からやらなければいいだろう。 >> 一番可哀そうなのは「カップヌードル」だと思う。の続きを読む


高広伯彦氏が、自身のブログでこんなことを書いていた。

「違う」とばかり言ってると得をしないと思うんだ。B2BマーケティングとB2Cマーケティングの確執。

B2BとB2Cの問題に限らず「違う」を強調することの落とし穴を見事に指摘しているように思う。これは「何か新しいこと」に対して、どのような態度をとるべきか?という大切なテーマについての話だと思う。

B2Bのビジネスは、もちろんB2Cと異なる点も多い。それ自体は多くの人がわかるだろう。しかし、それ以上に共通点もあるはずだ。先のブログでも指摘しているように、「相違点だけ見てると、損をする」というのは、どんなビジネスでもあると思う。

たとえば、エリアの問題。国内で転勤すると、やたらと「違い」ばかりを強調する人がいる。ただ、聞いてみるとそういう人の多くは「言いわけ」になってることが多い。「ケンミンSHOW」のネタならともかく、できる人はエリアを超えた共通点に着目する。

これが海外になると、もう言いわけの宝庫となる。「日本とは違う」のは当たり前だし、赴任当初は戸惑うのもわかる。ただし、成果を挙げる人は必ず「人間同士の共通点」を探り当てている。

つまり、ことさらに「違い」が強調される時は、一瞬立ち止まるべきだと思うのだ。
>> マーケターと、「差別化」の自縛。の続きを読む