2016年04月アーカイブ

土曜日の午後、右手の親指の傷を気にしながらテレビを見ていた。

木曜の夕食を作る時にスライサーで切ってしまい、痛みは薄らいだのだがムズムズとした違和感がある。

そして、テレビでは九州の被災地のようすを朝から報じている。いわゆる「本震」が想像以上の被害をもたらしている状況が次々に映し出されていた。

困窮もあれば、心理的不安もあり、もちろん肉体的痛みもあるだろう。しかし、画面の向こうで起きているすべての混沌を合わせても、自分の指先のごく僅かなムズムズした痛みの方に明らかなリアリティがある。

そのどうしようもない距離感のようなものが、妙な不安感を増幅させる。(大変だろうな)と思うほど、自分の指先が妙な主張をする。(痛みはここにしかない)と、自分の指が言っているように感じてくるのだ。

大災害が起きるたびに、僕はこの奇妙な距離感と向き合うことになる。

テレビを見ることを止めて、いつも寄附をしているNPO団体のウェブサイトから手続きをする。早急に動く体制をもっているので、即効性が強い。既に物資を届けたことも、今日のウェブサイトで確認できた。 >> 災害の後、「頑張ろう」に乗れなくてもいいと思う。の続きを読む