夜に「月に憑かれたピエロ」の夢幻能公演があるのだが、少し早目に出て、東京都美術館の「ボッティチェリ展」に行った。
駅を降りると、大きなポスターの下で年配の女性グループが話をしている。
「ああ、私はこんな優しい気持ちにはなれないわ」
何かと思ったら、ボッティチェリ展のポスターの「聖母子」を眺めながらの会話だった。いや、なんといっても彼女はマリア様である。まあ、絵を見て感じる思いというのは、それにしても人それぞれだ。
ボッティチェリの作品はフィレンツェのウフィツなどでも見たことはあるが、改めて見た感想を一言でいうとどうなるか。
「本当に絵がうまい」
大変アタマの悪そうな感想で申し訳ないが、それがしみじみとわかる。それには理由があって、まずはこの展覧会の構成がボッティチェリのすごさを際立たせるようになっているからだ。
最初のコーナーでは「ラーマ家の東方三博士の礼拝」が出迎えるが、次の部屋では師のフィリッポ・リッピの作品が並ぶ。そして、ボッティチェリの作品群が連なり、次には氏の息子で自らの弟子でもあるフィリッピーノ・リッピの作品となる。
フィリッポの少々生硬な筆致のあとで、ボッティチェリの鮮やかさに瞠目する。一方で、後に続くフィリッピーノの柔らかな仕上がりを見ると、ボッティチェリの精妙さが際立つ。そして、ポスターにもなっている「書物の聖母」と「美しきシモネッタの肖像」の2点が、この展覧会の頂点になるように自然に設計されているのだ。
工房の作品もいくつかあるが、絵の奥行きと光彩の鮮やかさが全く異なる印象で、それもまたボッティチェリの作品群を引き立てている。
そして、今回「うまい」と思ったもう一つの理由は、久しぶりに見た西洋絵画ということもあっただろう。
今月初めに京都の寺で狩野派を中心とした障壁画を山ほど見て、先週の府中市美術館の日本画の展覧会に行っていた。そして、西洋の古典絵画はしばらく行っていなかったのだ。
それで久しぶりに行ったのがよりによってボッティチェリである。「シモネッタ」の首飾りの精妙な立体感や「マッツォッキオをかぶった若い男の肖像」の鮮やかで深い赤の素晴らしさを見ると、文明開化の頃の日本人が慌てて上野に美術学校を作ったのも分かる気がする。
日本画も素晴らしいが、あのストイックな世界からいきなり西洋絵画の、しかも超一流の作家を見たら「やっぱりすごい」としか言いようがない。これは、いい体験だった。
今回は聖書のモチーフや、細部の象徴的表現についても解説が書かれていて、それもよかったと思う。
ちなみにこの手の本では中丸明の「絵画で読む聖書」(新潮社)がおもしろい。ただし、わかりやすさ優先ではある。網羅的な本だと「西洋美術解読事典」(河出書房新社)は定番だが、あくまでも事典で図表も少ない。一方「西洋絵画の主題物語」(美術出版社)はすべてカラー図版で、それが絶版になっているのだが、結構求めやすい価格で出ている。状態はチェックした方がいいと思うが、これはお買い得かもしれない。