夢幻能《月に憑かれたピエロ》というタイトルを見て、「おお!」と思うか、「なんだそりゃ」と思うか。僕は前者だったからすぐにチケットをとって行ったんだけれど、似たような人は結構いるようで東京文化会館の小ホールは満員だった。3月24日19時の開演で、ソプラノは中島彰子。この企画自体は既に何度かおこなわれているようで、演出も彼女の手になるもののようだ。
能管から始まるが、その後いったん静寂の中からシェーンベルクとなる。笛の他も大鼓・小鼓に、地謡が加わるが、音楽的に両者は交わらない。ごく一部、シェーンベルクの演奏中に能管が重なるところがあったようだが、基本は、曲間に能が演じられて、奏されるつくりになっている。
段々と一体感が出てきて、二幕の最後などは夜叉の姿のシテとピエロが舞台上で交錯して、中島が「Kreuze!(十字架)」と叫びながらか客席に走り降りて、静寂から次につながるという構成だ。
想像以上に違和感のない構成で、音楽と舞は十分に楽しめた。アンサンブルの質も高く、チェロの柔らかさや、クラリネットの鋭さを包み込む小ホールは素晴らしい。
賛否が分かれると思われるのは、舞台スクリーンに映され続けられるムービーだろう。字幕が出るのだが、対訳ではないので中途半端な感じを受けるし、いきなり「月」そのものが映されるなど、少々「絵解き」の演出も多い。
アート畑のプロだったら、少々苛つきながら見るのではないかと思う。ただし、何もないというのも、抽象的に過ぎるのではないだろうか。
それ以上に残念だったのは解説のペーパーだ。曲の概要と、演奏者のプロファイルが書かれているのだが、それだったらサイトに書いてることと同じではないか。原作と能をどのような意図で組み合わせたのか、能についてはそれぞれの面の名称くらいは説明があってもいいと思う。
「それぞれが感じるままに」という意図なのかもしれないが、この演出は相当に理が勝っているし、そうじゃなければこの企画は成立しないんだから、解説は欲しいと思った。
そして、その翌々日は国立能楽堂の特別公演。3月26日の13時開演で「復興と文化 特別編」ということで、「名取ノ老女」の復曲公演だった。
国立能楽堂では、震災以降毎年3月にこのような企画をおこなっており、今回は被災地の名取を舞台にした作品を復曲させるのである。
毛越寺管主代行の藤里明久氏による延々の舞より「老女」が演じられて、解説の後に休憩をはさみ「名取の老女」となった。
宮城県名取市の老女が、熊野権現を信仰して紀州まで参詣したいたが、年老いて叶わなくなり、名取の里に熊野三山を勧請したという逸話が残っている。名取には今も熊野三社があるのだが、「名取の老女」はこのことを素材にした演目だ。
ワキの熊野山伏と、シテの老女および孫娘の淡々としたやり取りから、じっくりと時間をかけて感情をたかめつつ、1時間ほどで老女の神楽舞となり畳みかけるように護法善神が登場して激しい舞働へと展開する。
静謐な祈りと熱のある舞踏の対称性が、鎮魂と希望を象徴する意図の構成に感じられた。
木曜に“ピエロ”で、土曜に“老女”は相当に密度の濃い観劇だが、それがいまの東京なのかもしれない。