近所のスポーツクラブに新規会員受付窓口の待ち時間が「40分」になっていた。少し前は「20分」だったが、もうすぐ「60分」という掲示になるだろう。3月から4月は、そうした節目の季節だ。
日本の春は、出会いと別れの季節でもある。というのは昔からの常套句だが、それもエリアによって大きく変わっている。東京などにいれば、出会いも別れもたしかにあるけれども、多くの地方では「出会い<別れ」だ。都道府県ごとの転出入の数字を見ればすぐにわかる。
で、いろいろ数字を見ているうちに「転入超過数×出生者数」で都道府県を分析すると、そのエリアの「勢いの絶対値」が見られるんじゃないかと思ってこんな図を作ってみた。出典は総務省統計局の「日本の統計2016」だ。データは2014年で、昨年の数字も出ているのだが、加工の関係で一昨年のものだ。まあ、傾向値としては十分だと思う※
日本の人口が全体として減少しており、地方に行くほどそれが顕著であることはよく言われている。その原因は少子高齢化で死亡者数が増加していることが大きな原因だ。
ただし、今後を占う意味では出生者数と転入超過数に着目してみたらどうか?と考えたのだ。 >> 「出生者数×転入超過数」で見ても、東京は特異だった。の続きを読む
僕がオーケストラのコンサートを聴いたのは40年近く前からになるけれども、日本のオケは相当達者になったと思う。
1980年代頃までは、オケによっても水準のばらつきがある上に、器も多目的ホールが殆どだった。ロンドンのオケが来て日比谷公会堂で演奏していたのだから、隔世の感がある。ああ、こんな言葉が違和感なく使えるほどに歳をとったということか。
いっぽうで、その頃は海外オケが圧倒的にうまかった。そして、高い席から売れていった。いつからか、安い方から売れるようになったのは、聴き手の感覚もあるだろうが、いいホールができたことも大きいと思う。席による音響的な差が縮まったのだ。
とはいえ、物見遊山のようなオケも結構あったし、来日オケがバブル状態になると玉石混交であることもわかってきた。
そして、日本のオケは着実に力をつけてきた。いろいろ理由はあると思うが、教育の差は大きいだろう。考えてみれば、戦前に教育を受けたような人が第一線を退くのが、ちょうど80年代である。その世代は、奏法についても情報が少なく偏っていたし、気質的にも職人肌なので組織的には停滞してしまうわけだ。
そんなわけで、僕も近年は日本のオーケストラの定期演奏会のメンバーだったりしたが、十分に満足していた。最近は、定期会員ではないが時折足を運ぶ。最近だと、東フィルの第九のような雑な日もあったが、読響のシベリウスのような卓越した演奏もある。まあ、だいたいに応じて、十分に楽しめる。 >> このままだと、日本のオーケストラはヤバいと思う理由。の続きを読む
ドイツの地方選挙がおこなわれた。州にもよるけれど、メルケル首相のCDUは退潮で、いわゆる「反難民」の右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)が伸長したという。
米国では、トランプと反トランプが、文字通り「激突」状態になってきた。
また、ポーランドでは昨秋に政権をとった「法と正義」という右派政党が憲法裁判所を制御しようとしている。
明らかに、何かが起きている。それを極右的勢力の台頭とか反リベラルなどという評するのはやさしい。ただし、一つ明らかなことがある。
それは、一定以上の人々が支持しているという事実だ。
そして、もう一つの事実があって、それは主流のマスメディアの論調とは逆ということだ。
米タイム誌は2015年の「今年の人」に、ドイツのメルケル首相を選んだ。
トランプについては、米国のワシントン・ポストが「トランプ絶対阻止」という異例の論説を出した。エコノミストなども、強く批判している。
しかし、支持者はいる。
トランプの支持拡大などは、多くの人にとって「想像もできなかった事態」ではあるが、それはマスメディアが想像できていなかった、ということだろう。彼らの常識の外に、多くの人がいて、メディアはその波を感じることができなかった。
似たようなことは日本でもあった。2014年の都知事選で田母神俊雄氏が60万以上の得票を記録した時も、メディアは結構慌てていた。 >> メディアが正論を唱え、そして正義は遠ざかる。の続きを読む
京都へ初めて行ったのは、小学校4年の時に祖父母に連れられてのことだった。祖父は東京生まれだが、なぜか大学は京都に学んでおり、卒業してすぐにまた戻ったらしい。農学部だったようだが、その後の仕事とは全く無縁であり経緯はわからない。明治生まれの人は家族にもわからない“謎”があったように思う。
いわゆる名所を回り、「いもぼう」を食べて、味が美味しいというよりは「京の商い」をうっすらと感じたような記憶がある。
その後、大学の頃から40歳ころまで、毎年京都には立ち寄っていた。わざわざ行くというより、出張などの後に時間を拵えていたことが多い。また、名古屋に勤務していた頃は、クルマでもひとっ走りという感じで、足を運んでいた。
最近は、間隔もあいて約1年ぶりだったが、とにかくごった返しているという話を聞くし、ニュースでもそんなトピックが目立つ。どこに行っても外国人が多くて、場合によってはマイナスに捉える人もいるようだ。
今回は、大徳寺、妙心寺、相国寺と回ったが、拍子抜けするほどに静かだった。大徳寺で、欧州からの若い女性グループが来ていて、なぜか楽しそうに「サンタ・ルチア」を歌っていたが、あれは何なのだろう。日本人が、サン・マルコ広場で「うさぎ追いし~」とか歌うようなもんなのだろうか。
日曜の朝に、城南宮へ行ってしだれ梅を楽しんだ。相当賑わっていたが、ここなどは一地方の観光地という感じだ。歩き方によっては、京の町は穏やかに過ごせるんだなと感じた。
考えてみれば、金閣や清水寺などは修学旅行も含めてどこも昔から混沌としていて、そういうところはますます大変なのだろう。
一方で、今回行った禅寺などは国内ガイドでも取り上げられていないところが多く、少し外れていて回りにくい。このような寺社の特別公開を狙ってゆっくり見て歩いていけば、まだまだいろいろな発見があるんだなと改めて感じた。ちなみに、今回思ったのだが、障壁画の特別公開でもギャラリースコープのような湛眼鏡を持っている人は見なかった。最近は日本美術の公開が多く、精細な細工などを見るのに使っている人も美術館では見ることも多い。 >> 週末京都行③1000年テーマパークの楽しさ。の続きを読む
で、京都の続き。土曜の午前中に大徳寺へ行き、昼食を挟んで妙心寺へと回る。今回はミホミュージアムに遠出したこともあり、そのままレンタカーを借りている。中心部もないので、道も空いておりスムーズだ。
途中、金閣寺近くのバス停は相当ごった返しているが、妙心寺は駐車場も無料ですぐに止められる。
この寺に関心があったことの1つは「瓢鮎図」が所蔵されていることだ。「瓢箪でナマズをおさえる」という図で、「ひょうたんなまず」という言葉もあり、「とらえどころのないこと」を指す。昔はそういう言い方をする人もいたように思うが、今では聞くことも少ない。
この作品は絵自体もユニークだが、上の方に多くの人の画賛がある。この辺りを詳しく研究した「瓢鮎図の謎」という本がたいそう面白かったこともあり、一度来たいと思っていた。ただし、オリジナルは京都国立博物館に寄託されており。こちらにあるのは模写だ。
ということもあって、庭に向けて無造作に掲げられている。模写とはいえ、高名な作品だし、もう少しどうにかならないのかと少々残念ではある。 >> 週末京都紀行②じっくり妙心寺。の続きを読む