最近、1人で舞台を見に行ったりすることが多い。室内楽や能など、客数も少ないが、つまり世間的にはより少数派の集まっている空間だ。
オーケストラのコンサートでも、真っ当なホールなら満席でも2000人。ポピュラーに比べれば桁が違うし、スポーツイベントとは比べ物にならない。
とはいえ、サントリーホールの終演後にツイッターを見れば、その夜の感想が結構見られる。20以上も並べば、「おぉ、結構盛り上がってるな」という感じだが、それでも冷静に考えれば、ツイートしているのだ聴衆の1~2%程度ということだ。
コンサートで1人で聴いた後に、(素晴らしい!)と思っても、何となく妙な不安のようなものが広がり、しばらくしてツイッターを見てしまう。以前だったら、しばらくしてからネットの掲示板などを覗いてたこともあったが、いまはそういうメディアもなく、みんなツイッターで思い思いに言葉を発する。
ネットの向こうに、見ず知らずの人が同じように感動していて、その「つながっている感じ」というのは、たしかに悪くはない。
ただ、その感じを「心地よい」というのではなく、「悪くはない」と書いたのには理由がある。やっぱり、1人で行った舞台の後でツイッターを覗いたら「負け」なんじゃないかという感覚もどこかにあるのだ。
なぜ、その感動を、わざわざ検索してたしかめなければならないんだ?好きだから、1人で聴きに行くんだろ?
と、誰が言ってるわけでもないが、まさに天の声のようなものが何となく感じられるのだ。 >> 「つながる価値」を疑ってみる。の続きを読む