2016年03月アーカイブ

syazai前から思っていて、ここに来て本当によくわからないのが「謝罪」というものの正体だ。

今年は年初から週刊誌発のスキャンダルが連発されていて、その後には「謝罪」というものがおこなわれる。

グーグルで「謝罪」と入れて驚くのは、そのニュースの多さだ。別にニュース検索をしているのではない。一応ログアウトしてから普通に検索すると、3月28日午後だと乙武氏と白鵬の謝罪が目立つ。

しかし、本当の「謝罪」といえないような発言を、とりあえず「謝罪」と言っているようにも思う。

謝罪、という言葉には読んだとおりに「罪」の文字がある。何かを報じられたりして、それに対してリアクションした時点で「謝罪」というニュースになる。いわば、自らが何かをいったことで「罪」が後付けされるような感じもして、それが何だかしっくりこない。

そもそも謝罪は、自らの罪や過ちを認めて、それを被害者や関係者に謝るという行動だろう。日常的に「ごめんなさい」「申し訳ない」というのは、そういった時に使われる。

ただし、この手のスキャンダルの後の“謝罪”は少々色合いが異なる。

まず、罪や過ちというのがハッキリしていないことがある。相撲で「立ち合いに変わる」というのは、罪や過ちというより、世間が「好ましくない」と思う行動だろう。 >> 「謝罪のようなもの」が溢れてる。の続きを読む