プロ野球に関心を持たなくなったのはいつ頃からだろうか。東京生まれだが、なぜかカープファンだった。1986年の優勝は社会人1年目だったが、神宮で決めた試合を友人と観に行った。最後は津田が締めていた。
先般、カープファンという20歳くらいの女性にそのことを話したら、キョトンとしていた。生まれる十年ほど前の話なのだから、僕にとっては「大下と杉浦がMVPで広岡が新人賞」の時代を聞いているようなものだ。そりゃ、わかるわけがない。
自分のプロ野球離れの理由はわからないが、球場へ行かなくなった理由ははっきりしている。のべつ幕なしに、応援歌が鳴っているからだ。そもそも、野球というのは一定のテンポでおこなわれるものではない。昔のように外野の一部でのどかにやってた頃はともかく、妙に達者なバンドがドーム球場でガンガンやっている中での観戦は苦痛なのだ。
というわけで、賭博などの話も「まあ、ちゃんとやれよ」くらいの傍観者なのだけれど、ちょっと気になるトピックがあった。
巨人を皮切りにあちらこちらで発覚した「勝敗に絡んだ金銭授受」という謎の慣行についてのアンケート調査だ。「勝ったら総取り」みたいな話は、あまメディアでは当然のように批判されているのだけれど、このスポニチの調査結果がおもしろい。
『ツイッター「スポニチ野球記者」で緊急アンケートを実施。「良くない。悪い慣習」「許容できる範囲内」が同じ44%と、真っ二つに意見が分かれた。』ということなのだ。
もちろん、ちゃんとしたサンプリングではない。ただし、わざわざ投票するのだから「プロ野球に関心が高い人」だと思う。そして、そういう人の中に相当の擁護派がいるのだ。
僕の周りにいる野球好きは、みんな呆れていたがそうとは限らないようだ。
なんでだろう?と考えたみると、これは「放っておいてやれよ」というファンの気分なんじゃないかと思った。いきなり建前を掲げて説教垂れるメディアへの反感だろう。
ただし、もっと前だったらどうだろうか。野球ファンの存在はメジャーであり主流派だった。「なんて恥ずかしいことしてくれたんだ」が多数となるんじゃないか。
それが、賛否半々である。そして、「まあ、いいじゃん」と思う人は、自分たちだけの綴じた空間にいるのだろう。
関東ではプロ野球中継は視聴率の低下から、地上波を追われ、BSやCSの一コンテンツになった。この20年ほどの流れは、プロ野球ファンが「少数派」へと転じていく流れでもある。一方でメディア上はともかく、各球場はそれなりに賑わっていて地方分散は成功したと言われる。
社会心理学に「少数派の研究」というのがある。「沈黙のらせん」理論などが有名だが、近年「少数派の残存」という知見が注目された。
それによると、少数派の人々を支えているのは少数派の人どうしなのだという。彼らは相互に自分の立場を強化しあい、外部からの影響を受けないという。しかも、自分たちは少数派と思ってない。
これは、まさに現在のプロ野球ファンの構造だと思う。放送が減っても、野球場にはたくさんいるし、身近に少なくてもネット上ではいろんな空間がある。
そういう人たちが「プロ野球ってカネまみれじゃん」と外から言われると、頑なになるわけだ。
この、「少数派の残存」というのはいろんなところに応用できる。ガラケーを使っている人は周りもそういう人ばかりだったりする。またデモに集まっている人も、自分たちが野党勢力であり、内閣の支持率は不支持率よりも高いことを理解するのが困難なのも同じ構造というわけだ。