というわけで、3月も終わるので今回も1か月の振り返りを。
押し迫った30日に鴻海がシャープ買収を決定して、東芝は白物家電を美的集団に売却した。親が用意した縁談を振り切って、それぞれの道を歩む春なのであった、という感じではない。
そもそも、シャープが態度を決めたのは2月25日のことなので、その後の精査に一か月くらいかかったことになる。いずれにせよ、国内資本の白物家電大手は4社となった。ただ、三洋の場合はブランドがなくなったが、東芝はブランドが残る。新しい経営陣がどのような戦略を立てていくのかは興味深い。
政治的には、衆議院の解散や消費増税の再延期などが囁かれてきた。ただし、この手の政局の動きは報道によってもバラバラで、どこか霧がかかったような感じだ。その中で「民進党」が発足して、予算はアッサリ成立した。
国内では、相変わらず週刊誌発のスキャンダルが連発されている。経歴詐称や不倫など、内容自体は定番ではあるものの、キャスター就任や参院選出馬などのタイミングでビシッと刺された感じだ。
というような話が目立つ国内情勢をよそに、欧州近辺の動きは相当に激しい。ベルギーの空港でのテロがあり、ドイツ地方選挙ではメルケルへの批判票が目立った。一方で、フランスはテロ対策を念頭においた憲法改正を断念するなど、しばらくは中東からの強風に悩まされそうだ。
米国大統領選は、共和党でトランプがまだリードを保っている。競馬でいうと、まさかの大逃げが3コーナーを回ったあたりで相当のリードを保っている感じだ。共和党内部では、早くも「審議」前提での動きもあるようだが、現在2番手のクルーズも主流とは言い難いし、いろいろとアタマが痛いだろう。
一方で民主党ではサンダースが食い下がっている。トランプと同様、白人からの人気が強いのは、現在の米国の変化を象徴しているように感じる。 >> 3月が終わるので、今月の振り返りなど。の続きを読む
最近、1人で舞台を見に行ったりすることが多い。室内楽や能など、客数も少ないが、つまり世間的にはより少数派の集まっている空間だ。
オーケストラのコンサートでも、真っ当なホールなら満席でも2000人。ポピュラーに比べれば桁が違うし、スポーツイベントとは比べ物にならない。
とはいえ、サントリーホールの終演後にツイッターを見れば、その夜の感想が結構見られる。20以上も並べば、「おぉ、結構盛り上がってるな」という感じだが、それでも冷静に考えれば、ツイートしているのだ聴衆の1~2%程度ということだ。
コンサートで1人で聴いた後に、(素晴らしい!)と思っても、何となく妙な不安のようなものが広がり、しばらくしてツイッターを見てしまう。以前だったら、しばらくしてからネットの掲示板などを覗いてたこともあったが、いまはそういうメディアもなく、みんなツイッターで思い思いに言葉を発する。
ネットの向こうに、見ず知らずの人が同じように感動していて、その「つながっている感じ」というのは、たしかに悪くはない。
ただ、その感じを「心地よい」というのではなく、「悪くはない」と書いたのには理由がある。やっぱり、1人で行った舞台の後でツイッターを覗いたら「負け」なんじゃないかという感覚もどこかにあるのだ。
なぜ、その感動を、わざわざ検索してたしかめなければならないんだ?好きだから、1人で聴きに行くんだろ?
と、誰が言ってるわけでもないが、まさに天の声のようなものが何となく感じられるのだ。 >> 「つながる価値」を疑ってみる。の続きを読む
2016年3月28日19:00 ヤマハホール
モーツアルト/ピアノソナタ 第14番 ハ短調 K.457
ベートーヴェン/ピアノソナタ 第21番 ハ長調 「ワルトシュタイン」Op.53
ショパン/24の前奏曲 Op.28
(以下アンコール)
ドビュッシー/前奏曲集 第1集 6番 雪の上の足跡 同/前奏曲集 第2集 12番 花火
同/前奏曲集 第1集 10番 沈める寺
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日曜の夜に、「なんか明日にもで軽く室内楽系のコンサート行きたいな~」と思っていろいろ調べてたら、ヤマハホールでいい感じの企画があったので行くことにした。予約画面から座席選択画面を見たら2階最前列が空いている。
ティベルギアンは何度も来日しているようだが、聴くのは初めてだ。ちなみに新装したヤマハホールに行くのも初めてである。舞台上にはヤマハのコンサートグランドだ。
長身で黒いシャツに、軽い色のジャケットとパンツでスッとあらわれて、まずモーツアルト。柔らかい音楽づくりだが、長い休符の後に、独特の間があって次の音へとつながる。どこかで聞いた感じだな、と思ったけれど、シューベルトのソナタのようなのだ。自在で闊達で、歌が溢れている。
フィナーレは、よりカチッとまとめている印象だった。
ベートーヴェンになると、明らかに神経質になっている。モーツアルトの時よりも背をかがめて鍵盤を凝視するようにして、ワルトシュタインの和音が鳴り始める。 >> 自在で闊達、また聴きたくなるティベルギアンのピアノ。の続きを読む
前から思っていて、ここに来て本当によくわからないのが「謝罪」というものの正体だ。
今年は年初から週刊誌発のスキャンダルが連発されていて、その後には「謝罪」というものがおこなわれる。
グーグルで「謝罪」と入れて驚くのは、そのニュースの多さだ。別にニュース検索をしているのではない。一応ログアウトしてから普通に検索すると、3月28日午後だと乙武氏と白鵬の謝罪が目立つ。
しかし、本当の「謝罪」といえないような発言を、とりあえず「謝罪」と言っているようにも思う。
謝罪、という言葉には読んだとおりに「罪」の文字がある。何かを報じられたりして、それに対してリアクションした時点で「謝罪」というニュースになる。いわば、自らが何かをいったことで「罪」が後付けされるような感じもして、それが何だかしっくりこない。
そもそも謝罪は、自らの罪や過ちを認めて、それを被害者や関係者に謝るという行動だろう。日常的に「ごめんなさい」「申し訳ない」というのは、そういった時に使われる。
ただし、この手のスキャンダルの後の“謝罪”は少々色合いが異なる。
まず、罪や過ちというのがハッキリしていないことがある。相撲で「立ち合いに変わる」というのは、罪や過ちというより、世間が「好ましくない」と思う行動だろう。 >> 「謝罪のようなもの」が溢れてる。の続きを読む
夜に「月に憑かれたピエロ」の夢幻能公演があるのだが、少し早目に出て、東京都美術館の「ボッティチェリ展」に行った。
駅を降りると、大きなポスターの下で年配の女性グループが話をしている。
「ああ、私はこんな優しい気持ちにはなれないわ」
何かと思ったら、ボッティチェリ展のポスターの「聖母子」を眺めながらの会話だった。いや、なんといっても彼女はマリア様である。まあ、絵を見て感じる思いというのは、それにしても人それぞれだ。
ボッティチェリの作品はフィレンツェのウフィツなどでも見たことはあるが、改めて見た感想を一言でいうとどうなるか。
「本当に絵がうまい」
大変アタマの悪そうな感想で申し訳ないが、それがしみじみとわかる。それには理由があって、まずはこの展覧会の構成がボッティチェリのすごさを際立たせるようになっているからだ。
最初のコーナーでは「ラーマ家の東方三博士の礼拝」が出迎えるが、次の部屋では師のフィリッポ・リッピの作品が並ぶ。そして、ボッティチェリの作品群が連なり、次には氏の息子で自らの弟子でもあるフィリッピーノ・リッピの作品となる。
フィリッポの少々生硬な筆致のあとで、ボッティチェリの鮮やかさに瞠目する。一方で、後に続くフィリッピーノの柔らかな仕上がりを見ると、ボッティチェリの精妙さが際立つ。そして、ポスターにもなっている「書物の聖母」と「美しきシモネッタの肖像」の2点が、この展覧会の頂点になるように自然に設計されているのだ。
工房の作品もいくつかあるが、絵の奥行きと光彩の鮮やかさが全く異なる印象で、それもまたボッティチェリの作品群を引き立てている。
そして、今回「うまい」と思ったもう一つの理由は、久しぶりに見た西洋絵画ということもあっただろう。 >> やっぱ、ボッティチェリは「うまい」!の続きを読む