読売オンラインの「てんかん記」に感じる新聞の可能性。
(2016年2月16日)

カテゴリ:メディアとか
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新聞を巡る課題はとても幅広いテーマだが、人によって見方が全く異なる。

学生などを初め、30代くらいまでは読まない人が多い。一方で、重要な情報源として熱心に読んでいる人ももちろんいるし、「取材して伝える」という基本的機能の潜在力は相当高い。

そうしたリソースをどう活かすか?というのはマーケティング的にも興味ある課題だ。

そうした中で、気になる記事があった。掲載されているのは、読売オンラインの「ヨミドクター」というコーナー。医療関係の読み物が集まっているのだが、その中の「原隆也記者のてんかん記」という連載コラムだ。

この記者の方は転換を患っているのだが、その経緯やいまの状況、あるいは生活の様子や事件への思いなどを綴っている。おなじコーナーには、白血病の記者の闘病記もあって、つまり読売の記者が「個人体験」を記事にしているのだ。

記者による癌などの闘病記には前例もあったが、てんかんは珍しいのではないだろうか。ご本人も書かれているように、人に対して隠してしまうことの多い病でもある。そうした経緯も含めて、いろいろなことが書かれている。とても勇気がいることだし、筆者も会社もよく決断したなと思うが、読むたびにいろいろなことを考えさせられる。

強い主張は、ある意味簡単だ。しかし「考えさせる」記事は少ない。そして、それにこそ大切な価値がある。てんかんは、自動車事故の問題もあり大変にデリケートな面もある。患者が声をあげることも容易ではないし、代弁者も必要だろう。そうした中で、この取り組みは新聞ジャーナリズムの今後のあり方のヒントになると思う。

まず、新聞社にはたくさんの人がいる。つまり社会の縮図のようなもので、それぞれの人がいろいろいな課題に直面している。いままでは、「課題に直面した人」を取材することが中心だったが、自ら語るということによって別の意味で当事者意識を持てるし、説得力も出るだろう。

また、基本的な文章トレーニングを受けているので、当然のように内容の水準が高い。当たり前のようだが、ネット上で誰でも文を書くようになると「まっとうな文章」の価値は高い。

そして、バックに組織があるという優位点を最大限に活かせる。組織にいては動けず、フリーだから挑める仕事もある。しかし、このようなデリケートなテーマになるほど個人では厳しいこともあるだろう。また書き手の思い入れが強まり過ぎないようにチェックする機能を持たせられれば、バランスを維持できる。

記者が自らトライするという企画は、ネットなどでは増加してきた。ただし、ダイエット挑戦のような軽めの企画が多いし、「三ツ星レストラン潜入」のように一歩間違えると単なるやっかみの対象にされることもある。

「取材と記事つくりのプロ」でとしてではなく、「日々何かと闘っている一人の人間」としての記者の潜在能力を活かせれば新聞メディアの新しい機会があるのではないか。「てんかん記」はそんな可能性を考えさせてくれる。

「てんかん記」の記事はこちら。(最新記事にリンクしてるがバックナンバーも読める