【音の話】立春なので、春の曲三題。
(2016年2月7日)

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IMG_1368立春を過ぎたが、旧暦の新年は明日だ。。つまり北朝鮮は、中国にとっての大晦日にロケット花火をぶっ放したわけで、そう考えると相当のあてつけのようにも思える。

ちなみに今年のような場合は「年内立春」というのだが、それが特段珍しいわけではない。年の初め、つまり旧暦睦月は月の満ち欠けで決まる。明日は新月だ。一方で二十四節季は1年を24に分けるので太陽の動きによっている。立春の次は19日が「雨水」となる。雪が雨に変わり、氷が水になる頃合いという意味だ。

音楽の世界でも季節を描いたものは多いが、春はどこか浮かれている。冬だとシューベルトの「冬の旅」が圧倒的に存在感があるが、あれを寒い時に聴くとそれだけで凍えてしまうので、夏の夕暮れくらいがちょうどいいように思う。

というわけで、今日は春の音楽について。

ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番は「春」というタイトルだ。初めてこのメロディを聴かせた人に「ある季節のタイトルがついてます」とクイズを出したら、まずほとんどの人は「春」と答えるのではないだろうか。

この曲の冒頭の流れるようなメロディは、「春の小川」の風景をどこか連想させる。雪解け水が流れる穏やかな風景だろう。

あまりしっかりと弾き込んだ演奏よりも、名人がサラリと奏でたディスクの方がいい。能天気といわれるくらいの頃合いで、ひたすら美しいパールマンや、自在なフランチェスカッティなどが気持ちいい。後者の場合、自在なのはピアノのカザドシュではないかという気もするが。

シューマンの交響曲第1番も「春」だ。ただし、これは季節の春が来たというよりも、自分の中に春が来たような音楽だ。シューマンは相当に精神が不安定だったというけれど、まあ何か浮かれていたのだろう。

この曲はコンサートでは「座りが悪い」曲でもある。メインには軽いが、オードブルには重い。その迷いが演奏に出てきてしまい、「悪くはないんだけどな」という感じになりやすい。

冒頭のファンファーレからして、全体的に中二病的恥ずかしさがあるので、その辺りをシレッと振っていくバレンボイムとシカゴ響の演奏が結構好きだ。朗々としたバーンスタインとウィーン・フィルも一頃よく聴いていた。

そして、ストラヴィンスキーの「春の祭典」だが、さすがにロシアの春は激しい。とある音楽家に「ロシアの春は実際にうるさいんだよ」と聞いたことがあったが、以前3月に軽井沢にいた時に実感した。夜中にドサドサ、ガタガタと音がして木々の雪が落ちてくる。そしてわずか2日ほどで一気に雪が融けたのだ。

「春の小川」とは全く異なる春なのだ。この曲は「タマネギを炒める時の愛聴曲」だと以前書いたけれど、ファジル・サイのピアノ版もまた楽しい。

まだ寒いけれど、音楽くらいは春の響きを楽しんでもいい頃合いになってきた。