4人の子方が光る「唐船」。
(2016年2月6日)

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H2802_noh_omote国立能楽堂 特別公演

2016年1月31日(日)13:00 国立能楽堂

能・金剛流 「鱗形」

狂言・大蔵流 「舟船」

能・観世流 「唐船」

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昨秋から能を観に行くようになったのだが、とても評することができるほど回を重ねていない。もちろん巧拙を語ることはできないのだが、ぼちぼちと感想などを書いていこうかと思う。

(以下演目についての説明などは国立能楽堂発行のプログラムの389掲載の村上湛氏の解説を参照している)

この日の特別公演は海や船にちなんだ演目だった。「鱗形」は北条時政が紋所を定めるために、江ノ島の弁財天に参詣する場面から始まる。

「舟船」は主従が渡し場で舟を呼ぶ時のやり取りが主となる。

さて、この日の主演目は「唐船」だった。シテは武田志房、ワキは福王和幸。演じられるのは珍しいようで、観るのはもちろん初めてだ。解説によると、潜在的な人気が高い割に上演されない理由は、4人もの子方役を揃える必要があるからだという。しかも謡も多いので、能力の高さも要求されるらしい。

そうか、児童合唱が必要なマーラーの第三交響曲みたいなものなのか?と思ったら全く違った。

子役4人がアリアを歌うオペラのようなものだった。そりゃ、そうそう演じられるものではないだろう。この日の子方は、武田章志、長山凛三、藤波重光、馬野訓聡の4名だが、全員が2005年生まれだ。演目にもよるのだろうが、子方として演じられる期間、いわば「旬」の時期はそうそう長くないだろう。ていねいに準備されて、時機を得た公演だったのだろう。
能の様式の中で、愛らしさを哀歓が高い水準で表現されていることに、改めて驚いた。

舞台は九州。箱崎殿(ワキ)。唐人の祖慶官人(シテ)が抑留されているが、これは日本との間で船を巡る諍いがあったことが原因で、13年に及ぶ。

日本に幼子2人がいるのだが、唐から2人の子が迎えに来る。箱崎殿が日本子を残すように命じ、祖慶は思い余って海に身を投げようとするが、許しを得て全員で唐に向けて出帆する。

船の上で舞う歓喜の舞がこの作品の眼目となる。いつも思うのだが、能の舞には原初的な生の喜びを感じることが多い。夢幻能という形式では、霊的な存在がシテとなるのだが、そのことによって逆説的に生を描いているように響いてくることもある。

この日は脇正面の席だったが、最後に船の帆がかかるところは、正面だったら美しかっただろう。観た後に温かみの残る、1月最後の日曜日だった。