東京コピーライターズクラブ(TCC)という団体があって、そこでは毎年「優れたコピー」を評価して賞を出している。その賞のポスターのコピー、というか団体のあり方について、強い疑問を呈したブログを読んだ。
東京コピーライターズクラブ(TCC)は、そろそろ解散すべきだと思う。
「コピーライターの目のつけどころ」というブログなので広告ビジネスに関わってきた人が書いている。タイトルは結構激しいが、内容を見て「ああ、そうだよな」と思った。筆者が怒っているのは、「誰に褒められたいんですか?」という募集コピーだ。「いいね!」などをもらうよりも、「一番厳しいあの人に褒められたい。ですよね?」という結びで終わっている。つまり、業界の長老に認められることが最大の価値だというわけだ。
このTCCという団体だが、まず「新人賞」を獲得することで入会できる。新人賞と言うと、スポーツなどでは「リーグで1人」という感じだが、TCC毎年20名ほどが授賞する。ちょっと個人的なことを書いておくと、僕は社会に出て30歳までコピーライターだったが、この賞は獲れずにリサーチを志願して異動した。だから、TCCには憧れとちょっとした劣等感がある一方で、後に自分が研修を担当した若手が新人賞を受賞するととても嬉しい。
クリエイターは確固とした基準のないまま、悶々と悩むことが多いし、会社の先輩も好き勝手なことを言うから、第三者からのお墨付きは大きな自信になる。そういう意味で、広告賞のなかでも「新人賞」には意義があると思っている。
しかし、気がついたらTCCの評価とかに全く関心を持たなくなっている。スキルの見本市としては面白いのだが、目立つキャンペーンがある一方で、「見たことのない広告」も相当に増えた。「ビジネスの数字に直結させる」という使命よりも、好きなようにさせてくれるトップがいるような企業の仕事の方が技を発揮しやすいのだろう。
そう考えると、TCCの募集コピーが出てくるような状況は、いまだにこの業界の一部が封建社会だからだと思う。
TCCは職能団体だが、「親方に褒められる」ことが目的だとすれば、中世のギルドに近い。近代の互助団体であれば、「コピー一本の最低価格」とかを確保する運動をするだろう。というか、そういうことこそした方がいいのではないか。
しかし、この世界は中世の論理だ。だとすれば、まず、ユニークな表現の広告を作るときには「理解のあるパトロン」が必要になってくるのもわかる。でも中世はいつか終わる。そして、誰がルードウィヒ2世になるのだろうか。
一番気になるのは、「そもそも、クリエイターは褒められるために仕事をするのか」ということだ。もっと言えば、人は褒められたいから頑張るのか。子どもだったらともかく、もっと切羽詰った使命感の中で努力するのではないか。
実際には多くのクリエイターは、そうした緊張感の中で汗を流している。そういう人たちへの誤解を広めるのでは?という意味でも今回の一件は気がかりだ。
ただし今回は「解散すべき」という勇気ある問題提起を、多くの広告主が目にすることだろう。そして、真っ当に頑張っているクリエイターへの不要な誤解を解くきっかけになるだろう。先のブログの波紋は、結構広がるかもしれない。
それにしても驚いたのは、月額5,000円という会費だ。年間で60,000円。これだけの額をしかるべき団体に寄附する方が、「褒めてもらう」より有意義じゃないかと思う。