東京コピーライターズクラブ(TCC)という団体があって、そこでは毎年「優れたコピー」を評価して賞を出している。その賞のポスターのコピー、というか団体のあり方について、強い疑問を呈したブログを読んだ。
東京コピーライターズクラブ(TCC)は、そろそろ解散すべきだと思う。
「コピーライターの目のつけどころ」というブログなので広告ビジネスに関わってきた人が書いている。タイトルは結構激しいが、内容を見て「ああ、そうだよな」と思った。筆者が怒っているのは、「誰に褒められたいんですか?」という募集コピーだ。「いいね!」などをもらうよりも、「一番厳しいあの人に褒められたい。ですよね?」という結びで終わっている。つまり、業界の長老に認められることが最大の価値だというわけだ。
このTCCという団体だが、まず「新人賞」を獲得することで入会できる。新人賞と言うと、スポーツなどでは「リーグで1人」という感じだが、TCC毎年20名ほどが授賞する。ちょっと個人的なことを書いておくと、僕は社会に出て30歳までコピーライターだったが、この賞は獲れずにリサーチを志願して異動した。だから、TCCには憧れとちょっとした劣等感がある一方で、後に自分が研修を担当した若手が新人賞を受賞するととても嬉しい。
クリエイターは確固とした基準のないまま、悶々と悩むことが多いし、会社の先輩も好き勝手なことを言うから、第三者からのお墨付きは大きな自信になる。そういう意味で、広告賞のなかでも「新人賞」には意義があると思っている。 >> クリエイターは褒められるために働くのか?の続きを読む
会社を辞めて1人で仕事をするようになって、この秋で12年になる。起業というのではなく、個人事業主だし、朝から晩まで家族以外と接触がないような日もある。
孤独と言えばそうかもしれないが、1人で考えることは苦にならない。というか、そうでもなければこんな仕事の仕方は無理だろう。
一方で、会社員が孤独な状況に追い詰められることは少ない。「孤独感」はあるかもしれないが、絶対的な孤独とは異なる。つまり、ゼロから考えて、一つの成果を出して、それを人に問うておカネを頂くというプロセスをすべて1人で行うということはない。あっても、相当に稀だと思う。だからこそ、会社組織が存在する。
ただし、これからの会社員は孤独な状況に強くならなきゃいけないし、既に求められていると思うのだ。
昨年とある企業に提案して、「ひたすら1人で考える」研修をおこなった。グループワークではない。金曜の午後からスタートして、24時間でビジネス企画を仕上げるトレーニングだ。1つの課題に数人が考えるので、最後は「競合プレゼンテーション」のようになる。
30歳前後の社員を指名しておこなったが、相当きつくなるだろうなとは思った。中間で助言はあるものの、とにかく考えなくてはいけない。
単に「考える」ことと「考え抜く」ことの違いを分かってもらいたいと思った。それは「疑う」ことの絶対量の多さでもある。
どうして、「孤独に強くなる」ことが大切なのか?というと、逆風に強くなってほしいと思ったからだ。会社は順風の時には、みんなで神輿を担ぐようにワイワイと進む。
ところが、逆風の時は違う。神輿なんか放って、自分のことで精いっぱいになる。 >> 会社員が孤独に強くなった方がいいと思うワケ。の続きを読む
怒涛のような1月だった。相当ニュースが詰め込まれていて、その上、世界と日本のギャップがすごい。
年明け3日に飛び込んで来たのは、サウジアラビアとイランの断交。なんで?と思う間もなく4日は中国株式市場でサーキットブレーカーが発動。6日には北朝鮮の核実験。「自称水爆」といわれているが真相はわからないまま、28日の破壊措置命令となる。そして7日は再度サーキットブレーカーが発動して、中国はこの制度自体を止めてしまった。
これで、まだ2016年は1週間。
その後も株式市場は世界的に乱高下が続いて、29日の日銀会合で「マイナス金利」が導入された。
さらに16日は台湾の総統選挙で民進党の蔡英文が当選し、イスタンブールやジャカルタでも爆破テロがあって国際政治・経済だけでも相当お腹いっぱいだったのに、メディア上の話題では国内のスキャンダルがそれ以上にすごかった。
というか、今さら陳腐だけれど「平和な日本」を実感したとでも言うのかな。
7日の週刊文春でベッキーの不倫、翌週13日のスポーツ紙でSMAPの解散報道で、18日に「会見」中継。文春発のスキャンダルはなおも続いて、甘利大臣は28日に辞職。ただ内閣支持率はむしろ回復傾向で、民主党は「自虐ポスター」で話題に。
事件としては、15日には碓井バイパスでバスの事故があったが、いまだ原因は不明のままだ。また、24日は沖縄の宜野湾市長選挙で、国政与党系の候補が当選。選挙のニュースは、しばらくすると地元以外では報じられなくなるが、影響はじわじわ来るだろう。
スポーツでは大相撲で琴奨菊が優勝したことと、サッカーU23代表のアジア大会優勝だろうか。どちらも「日本」を意識させる報道だった。
ビジネス関連では、トヨタがダイハツを子会社化する一方で、スズキとも提携。また新日鉄住金が日新製鋼を買収子会社化するなど、ますます集中が進む感じだ。 >> 1月のニュース振り返りと気になることなど。の続きを読む
小沢正光さんが逝去された。博報堂の、というより80年代以降を代表する広告クリエイターであり、戦略家だった。
僕も仕事上で接点があり、その時間は制作現場で苦楽を共にした方に比べれば長くはないものの、強い影響を受けたこともあり、感謝の意を表すためにも、少しばかりその記憶を記しておきたい。
2000年を前にした頃、僕は博報堂の研究開発セクションにいた。広告効果を最大化するためのリサーチやブランディングのシステム開発をしていたのだが、小沢さんがそうした動きに関心を示されてきた。
質の高い表現をきわめつつも、ビジネスとしての広告のあり方をずっと追求されていて、その姿勢はずっと変わらなかったと思う。
そこで、とあるクライアントにプレゼンテーションをすることになった。「効果的なCM」について、認知心理学などの知見を総動員して話をしたのだった。幸いにして終了直後に好評だったのだが、「こいつはねぇ」と小沢さんが僕のことを持ち上げてくれる。
今にして思うと、自社組織の訴求をしながら、社員のモチベーションを上げる技だったのだと思うが、当時は30代だったのでただ単に嬉しかった。
その後、若手スタッフの育成に乗り出されるようになり、また声を掛けられることになった。ことに新入社員への思い入れと期待は強かった。とにかく「未来は次代なんだ」という信念が強かった。
「もう、俺の時代じゃないんだ。もちろんお前なんかもな」
独特の表現だったが、「常に危機感を持っていろ」というメッセージだった。新人には温かかったけれど、半端に「できたつもり」になっていた人には厳しかった。
まだ黎明期のインターネットにも強い関心を持っていた。ネットを「第5のメディア」と紹介した社内資料を関心を示しつつも、首を捻っている。「第5どころじゃないだろ」ということだったのだが、まさにその通りになった。
僕はその後に希望して人材開発セクションに転じたのだが、そのきっかけになったのが小沢さんとの出会いだった。新人研修のプランニングをする時も、まず相談に行った。講義などを頼めば、最優先で時間を作って密度の濃い話をしてくれた。
多くの後輩にいい時間を提供できたとすれば、それは小沢さんのおかげだった。
単に話すだけではない。同じ空間にいるだけで、熱量が変化していくという、物理法則に外れたことを実感してしまうような時間だった。
僕が会社を辞めた後も、書いたブログの記事に関心を示されて、呼ばれたこともあったし、僕は、次の著書を書く前に直接話を伺いたいことがあったのだが、昨年来なかなか機会をとれずに、心配していた中での訃報だった。
本当にありがとうございました。安らかにおやすみください。
2016年立春を前に
薄日の差す東京にて