雪こそ降らなかったけれども、今日の東京の空はどんよりとしている。
関東平野の冬は、ちょっとくらい寒くてもよく晴れることだけが取り柄だ。そういう街で育ってきたので、こうも雲が重いのは苦手である。
しかし、欧州の冬はそんなものではない。もちろん、日本でも地方によっては冬に晴れ間の少ない地域はある。しかし、緯度の高い欧州は、寒さと暗さに加えて日が短い。
だから、というだけではなないのだろうが、冬に聴きたくなる音楽は多いように感じる。
というわけで、今日は冬のピアノ曲。グールドがロマン派以降の作品を弾いたアルバムから何点かを引っ張り出してみた。
グールドというと、バッハの一連の演奏を思い浮かべることも多い。僕も仕事の時、とりわけ長文を書くときによく聞いている。バッハの演奏では明晰なイメージが強いけれども、ロマン派以降の作曲家だと、もう少し独特の“揺らぎ”や“ためらい”のようなものがある。ただ、それを「ロマンチック」と言ってわかった気になるのも、どこか違う。寂しさと温かさが、普通に同居している。そんな人間の日常が感じられるのだ。
ブラームスは、バラードとラプソディ、それに間奏曲集が入ったアルバムがある。オーケストラだと立派な曲を書くブラームスだが、ピアノだとちょっと様子が違う。呟くようなフレーズが、ポツリポツリと奏でられて、ハーモニーはふらふらと漂っていく。
ラプソディのように激しい音楽でも、どこか躊躇しているようなところがあるのだが、その辺りの間合いが絶妙だ。
曲によって録音年代が異なり、ディスクもいくつかのバリーションがある。オリジナルジャケットとは程遠いデザインだが、2枚組ですべての録音が収録している輸入盤は、グレングールドの「セルフインタビュー」という企画がある。
Glenn Gould:Sexy,isn’t it?
glenn gould:Pardon me?!
といった出だしから、GGとggの会話が続くという趣向だ。
シベリウスは、3つのソナチネと「キュリッキ」という3つの小品。澄んだ柔らかな音が想像以上に豊かな響きを生んでいる。午後にブラームスを聴いたら、シベリウスは暗くなってからもいいかもしれない。できれば温かい飲み物を手にしながら。逆説的だけれど、「寒い国の温かさ」のようなものを感じてしまう。
そして、リヒャルト・シュトラウスのソナタ。グールドを含めて、録音自体が大変に少ない。若い時の作品で、発表当初の評価が低かったようだが、もっと演奏されてもいいのになぁ。激しさと美しさが入り混じって、強い推進力のある佳作だと思う。
冒頭は“タタタタン”という、いわゆる「運命の動機」が響き全体を構成していく1楽章。ゆったりと歌うアダージョから軽やかなスケルツォ。劇的なフィナーレは、畳みかけるように一気に進んでいく。
この曲ではグールドは相当前のめりになっていて、曲想が盛り上がる時に何度か唸り声が入っている。いや、義太夫じゃないんだから、というかほぼ歌ってるようなところもある。改めて聴いて思ったのだが、これは激しく強い素晴らしい演奏だ。
改めて思ったんだけど、どのアルバムもピアノ演奏史の貴重な資産だ。別に冬じゃなくたっていい、幾度となく聴きなおしたいものばかりである。