たしか3年ほど前だったかと思うが、春に上田を訪れた時に「真田を大河に」という署名活動をしていたので夫婦で名を書いた。上田はいい街だし、まだ真田一族が大河の題材にになっていなかったこと自体、意外だった。
明日から、「真田丸」が始まるようだ。署名しておきながら「ようだ」と及び腰なのには理由があって、そもそも大河ドラマを見る習慣がない。見ていたのは中学校の頃までだったと思う。
そして真田を題材にするのは難しい。というのも、彼らを巡る話は「物語」としての色合いがそもそも強烈で、そこには2つの大きな山が聳えている。
1つは「真田十勇士」だ。ルーツは江戸時代に遡るようだが、人気を博したのは立川文庫というから大正の時代だ。ただし、いまでは相当馴染みが薄いのではないか。猿飛佐助は一発変換されるが、「キリが呉れ再蔵」とか出されると「霧隠才蔵」にするのも一苦労。変換ソフトの辞書も何かと正直だ。
この話は、徳川に対しての奮戦記だ。アンチ徳川というトーンは、江戸時代においては反権威であり、明治以降においては破壊するべき旧秩序の象徴だった。中心人物は幸村であり、、大阪城攻防の時のヒーローとしての側面が強調される。
こうした真田イメージに一石を投じたもう1つの傑作が池波正太郎の「真田太平記」だ。これは真田十勇士に対する「新約聖書」のような側面がある。
まず、父昌幸と、信行・信繁(幸村)をバランスよく描いている。
また、アンチ徳川的なトーンは薄まっていて、時代の波をより俯瞰的に捉えている。
そして、草の者たちを巡る物語が裏地のように織りなされていて、物語を複層的にしている。
こうした傑作の山は、新たに書く者にとっては壁である。また真田太平記には一度NHKでドラマ化されたこともあり(僕は見たことはない)、それもあって大河の題材としては難しい面があったのだろう。何をやっても、いろいろ突っ込まれるのである。
真田の物語は、結局は徳川との距離の取り方をどうするか?が一番難しいと僕は思う。徳川政権や江戸時代というのは、明治から戦後のある時期まで否定的に捉えられていた。それは学校の教育現場もそんな感じだったと思う。
それに対して、池波正太郎は、絶妙な小説の数々によって江戸の人々の空気を僕たちに伝えてくれた。また「剣客商売」で田沼意次を先見性のある政治家として登場させるあたり、ステレオタイプな歴史観に疑問を持っていたのだと思う。また、「仕掛人・藤枝梅安」に出てくる料理屋、は蜆汁と泥鰌を売り物にしていて「一日の労働の疲れをふきとばす」といった描写もある。声を高くするのではなく、さりげなく江戸文化の奥深さをかんじさせてくれるのだ。
現代では江戸時代の知恵が見直されたり、その文化が注目されている一方で、明治以降の右肩上がりに疑問をもつようなところもある。というわけで、アンチ徳川のトーンが強い真田の物語は、どうなんだろうか。
まあ、始まって見なければわからないけれど、気になるのはタイトルだ。真田丸というのは、大阪夏の陣における真田幸村の出城だ。そこに焦点があたるのか?とちょっと不安だ。かと思うと、番組サイトには「小さな家族船『真田丸』の航海」とか「中流というべき家柄の、好奇心たっぷりの次男坊」とか、ますます不安になるようなことも書いてある。
う~む、明日は東京にいないんだけど一応録画はしておくか。