料理の時は、夕方のニュースをザッピングするのもいいけれど、音楽を聴きながらというのも結構楽しい。そこで、僕が料理中に聞く音楽を少し書いておこうと思う。クラシック限定だけど。
ロッシーニ「序曲集」~どんな料理でもいいテンポで手際よく
そもそも料理をつくるときは、深刻な曲や表現過剰な演奏は向かない。そう考えると、そもそもクラシックの多くは向いてないのだ。モーツアルトはよさそうだが、ちょっときれい過ぎて、ガチャガチャとしてキッチンで聴くにはちょっと違う。もちろんテンポ感は欲しい。となると、ロッシーニの出番となる。ヴェルディとなると全然違うわけで、調理というのは、基本的には即物的なのである。
考えてみると、ロッシーニはレシピも残しているくらいの美食家だったわけで、彼の音楽を聴きながら料理をつくるのは、いいと思うんだよね。
ディスクではアバドをよく効くけど、ロンドン響との盤はちょっとガサガサとしたが手仕事の生地のような魅力があり、ヨーロッパ室内管との演奏はより滑らかな肌触りだ。
曲目に重複があるけど、僕は両方とも持っていて気分で聴いている。
ストラヴィンスキー「春の祭典」~タマネギを炒めるならこれでしょ!
タマネギを飴色になるまで炒めることがたまにある。その時にかけるのは、これしかないと思っている。春の祭典の音の変容は、タマネギがしんなりとして、気がつくと小さく色づいていくプロセスにぴったり合う。演奏時間が40分くらいなので、一曲聴く間にちょうぢいい感じになるのではなるのだ。単調なタマネギ炒めに、千変万化のハルサイはちょうどいい組合せなのだ。ディスクには名演数々あるけれど、ブーレーズの旧盤か、ラトルの新録音を聴くことが多い。 >> 【音の話】料理をつくるときに聞く音楽。の続きを読む
谷崎潤一郎『犯罪小説集』
で、書き始めてから思ったんだけれど、もっとも紹介をしにくいのがミステリーの短篇集だ。
もちろん、ミステリーだからネタバレは避けたい。長篇であれば、まあ全体のあらすじとかを書いて、仕掛けの構造などを書けばいいのだけど、短篇集だと、それをいちいち書いていたら、慌ただしいばかりだ。
というわけなのだが、まず谷崎潤一郎と犯罪小説という組合せにどう感じるだろうか。「あ、それは面白いかも」と思う人には、まず十分に面白いと思う。僕もそうだった。つまり、谷崎独特の人間観のようなものが、犯罪をどう描くのだろう?という楽しみは十分に満たされるのだ。
またロジカルでありながらも、どこかそれだけで割り切れない超越した感覚を求める人にも合っているのではないだろうか。
一方で、ミステリーは好きだけど「谷崎って誰よ」という人は、やめたほうがいいかもしれいない。微妙な突っ込みどころはあるし、そもそも「あの設定は○○と同じ」とかになりかねないからだ。 >> 【本の話】腕っこきの料理人が作るまかない飯『谷崎潤一郎犯罪小説集』の続きを読む
たしか3年ほど前だったかと思うが、春に上田を訪れた時に「真田を大河に」という署名活動をしていたので夫婦で名を書いた。上田はいい街だし、まだ真田一族が大河の題材にになっていなかったこと自体、意外だった。
明日から、「真田丸」が始まるようだ。署名しておきながら「ようだ」と及び腰なのには理由があって、そもそも大河ドラマを見る習慣がない。見ていたのは中学校の頃までだったと思う。
そして真田を題材にするのは難しい。というのも、彼らを巡る話は「物語」としての色合いがそもそも強烈で、そこには2つの大きな山が聳えている。
1つは「真田十勇士」だ。ルーツは江戸時代に遡るようだが、人気を博したのは立川文庫というから大正の時代だ。ただし、いまでは相当馴染みが薄いのではないか。猿飛佐助は一発変換されるが、「キリが呉れ再蔵」とか出されると「霧隠才蔵」にするのも一苦労。変換ソフトの辞書も何かと正直だ。
この話は、徳川に対しての奮戦記だ。アンチ徳川というトーンは、江戸時代においては反権威であり、明治以降においては破壊するべき旧秩序の象徴だった。中心人物は幸村であり、、大阪城攻防の時のヒーローとしての側面が強調される。
こうした真田イメージに一石を投じたもう1つの傑作が池波正太郎の「真田太平記」だ。これは真田十勇士に対する「新約聖書」のような側面がある。
まず、父昌幸と、信行・信繁(幸村)をバランスよく描いている。
また、アンチ徳川的なトーンは薄まっていて、時代の波をより俯瞰的に捉えている。
そして、草の者たちを巡る物語が裏地のように織りなされていて、物語を複層的にしている。 >> 【今年気になること】真田丸と真田太平記、そして徳川。の続きを読む
年末に羽生結弦が、野村萬斎と対談した番組を見た。狂言の極意を聞かされて相当いい刺激だったのか、途中で「うわぁ、すごい所に来てるな」と地が出たような表情になったのだが、その辺りはファンにとっては相当魅力なのだろう。
こうした感情表現は、当然話題になりやすい。
男子フィギュアの選手同士は仲良さそうに見えるが、実際にそうかはともかくとしても、そういう文脈で、ニュースになっている。野球でも、昨年末スワローズの山田哲人の契約更改に青木宣親がサプライズで現れた時も面白かったが、ジャンルを問わずネタは多い。
男性同士の集団では、この「仲がいい」と見えることが、メディア上では重要になってしばらく経つ。
芸能界では、嵐が筆頭だろう。ファンは、彼らの関係性を消費する。これも事実どうなのかではなく、「仲がいいだろう(でも実は微妙かも…)」という脳内妄想を補完してくれることが大切なのだ。他のグループでもそういう流れになっている。
この「仲良し男子」という文脈は、女性が作って来たのだろう。「キャプテン翼」の薄い本が生まれて相当の年月が経つ。その間に、現実の方が追い越していったような感じもあるけど、内田篤人などはその代表だろう。
人間どころか馬が主人公の「馬なり1ハロン劇場」の作者も女性だが、もう四半世紀以上続いている。 >> 【今年気になること】仲良し男子と戦う女子。の続きを読む
青山学院の講義は毎週火曜日なのだが、今週締め切りの後期試験を事務局に未提出だったので昼過ぎに立ち寄った。ちょうど昼休みでキャンパスがごった返していたんだけど、それにしても賑やかだなと思ったら、中庭ガウチャー記念礼拝堂前で箱根駅伝の優勝報告会をやっていた。
ちょうど原晋監督が挨拶をしていた。
「昨年は“わくわく大作戦”ということでしたが、今年はハッピーになりましたでしょうか!?」という感じで軽やかにスタート。レースを振り返って話を続けた。そして、最後に、「皆様に一言」と話しかけた。
「夢はかないます。皆さんも自分の目標を信じて、これからの大学生活、そして卒業後も青山学院の卒業生として誇りをもって日々精進して頑張ってください」
とくに飾った言葉ではないけれど、なんだかスッと心に入ってきた。 >> 駅伝優勝報告会~青学の原監督が語る「夢と誇り」。の続きを読む